ゆかりの地めぐりをしよう!長野県出身・ゆかりの偉人・著名人まとめ

木曽の義仲館

長野県をめぐっていると、たくさんの偉人に出会う。

長野県出身者をはじめ、住んだことがある、発展に貢献した、別荘があるなど。長野県と関係のある偉人はそのゆかりの地をめぐることで、彼らの息遣いを感じることができる。

そこで今回は「ゆかりの地めぐり」ができる長野県出身・ゆかりの偉人や著名人をまとめた。ぜひ本記事をきっかけにゆかりの地に足を運んでみてほしい。

【武将】木曾 義仲(きそ よしなか)|木曽

木曽の義仲館

2歳の頃に木曽に逃れてきた駒王丸は、中原兼遠の養育を受け、のちに元服し木曽義仲を名乗った。1180年に後白河法皇の平家討伐の名を受け、木曽を拠点に旗揚げを行い北陸に進撃し入京を果たし、征夷大将軍に任ぜられた。

中山道36番目の宿場木曽町日義の宮ノ越宿にある義仲館資料館では、短くとも壮絶な生涯を絵画や人形を使いわかりやすく解説している。中庭には木曽義仲と生涯のパートナーであった巴御前の像がある。同じく宮ノ越宿にある旗挙八幡宮は義仲公が旗挙した地として知られる。

【武将】真田昌幸・信之(さなだ まさゆき・のぶゆき)|上田市・長野市松代

サマーウォーズ 真田家

上田藩・松代藩の基礎を固めた名君 真田信之は真田昌幸の長男で、信繁(幸村)の兄。父昌幸とともに1582年の武田氏滅亡後の混乱の中で、懸命の働きをした。関が原合戦に伴う第二次上田合戦では、東軍(徳川方)につき西軍(豊臣方)の昌幸・信繁の立てこもる上田城を攻めた。2016年には大河ドラマ『真田丸』が放映され人気を博した。

現在は公園となっている上田市の上田城跡は1583年に真田昌幸によって築城された。長野市松代には、真田家の居城であった松代城跡、伝来した大名道具を収蔵・展示する真田宝物館をはじめ、江戸時代を中心とした建物のたたずまいがそのまま残っている。

【俳人】小林 一茶(こばやし いっさ)|信濃町・高山村

一茶は1763年に信濃町柏原に生まれた。一茶の句には土の匂いや生き物の躍動感など父祖の代から柏原で農家を営んでいた影響が色濃く感じられる。

昔から柏原はそばの名産地だったため一茶には「そば所と人はいふ也赤蜻蛉」など、そばを取り上げた名句も多い。信濃町柏原には一茶が亡くなるまでの数年間を暮らした旧宅(国史跡)が今でも残っている。観覧は自由だ。

15歳で江戸に出た一茶だが、信州には弟子や俳友が多くいたため、長野市や小布施、中野、山ノ内などの地主や住職と集まり一茶を中心としたサロン的社交の機会もあったという。例えば温泉好きの一茶は山ノ内町の湯本に逗留したこともあり、信濃町・高山村に限らずゆかりの地は多数ある。

【小説家】堀 辰雄(ほり たつお)|軽井沢町

軽井沢の堀辰雄記念館

堀辰雄は明治~昭和にかけて活躍した小説家である。東京生まれで東大を卒業したのち、芥川龍之介や室生犀星に師事した。主著『風立ちぬ』と同タイトルで堀辰雄をモデルとした映画「風立ちぬ」が2013年にスタジオジブリから発表されたことで、平成の世に再び注目を集めた。

堀辰雄は19歳のとき、室生犀星と共に初めて軽井沢を訪れた。そのときの印象を友人にあてた手紙の中で「道で出遇うものは、異人さんたちと異国語ばっかりだ」と書き送っている。以後、軽井沢での滞在を繰り返し、1944年以降亡くなるまで追分で病床生活に入った。

いまでの軽井沢にゆかりの地は多数残っている。軽井沢高原文庫 堀辰雄山荘は堀辰雄をはじめ数多くの作家の初版や原稿を展示している。堀辰雄夫人から寄贈をうけ1995年に開館した堀辰雄文学記念館には、辰雄の所蔵を収めた書庫などがある。

【浮世絵師】葛飾 北斎(かつしか ほくさい)|小布施町

小布施

江戸の浮世絵師 葛飾北斎は90年の生涯で「冨嶽三十六景」など多くの錦絵、絵手本、肉筆画を残した世界的に名を知られる画家である。1842年、北斎は83歳のときにはじめて長野県小布施町を訪れた。きっかけは幕府の天保の改革による執筆制限とも、小布施の豪農・豪商 高井鴻山による招きともいわれている

小布施町の北斎館には小布施で描いた東町・上町の祭屋台天井絵「龍図」「鳳凰図」、「男浪図」「女浪図」が常設展示されている。曹洞宗梅洞山岩松院には、北斎の88歳から89歳にかけての作品といわれる天井絵「八方睨み鳳凰図」がある。大きさは畳21枚分、1度も塗り替えが行われていない本大作を描いた翌年、90歳で北斎は生涯を閉じた。

【作家】島崎 藤村(しまざき とうそん)|木曽・小諸市

岐阜県馬籠宿島崎藤村

詩人 島崎藤村は1872年に長野県西筑摩郡神坂村(現岐阜県中津川市馬籠)に生まれた。上京して数年後、1899年に小諸義塾の塾長であった木村熊二に招かれ長野県小諸町の小諸義塾に国語と英語の教師として赴任した。『千曲川のスケッチ』を書き記し始めたのもこの頃である。

長野県小諸市の懐古園内にある小諸市立藤村記念館には、小諸で過ごした期間の作品を中心とした展示がある。中山道馬籠宿には『夜明け前』『嵐』などの作品原稿、遺愛品など約6千点を所蔵した藤村記念館がある。

【作詞家・国文学者】高野 辰之(たかの たつゆき)|中野市・飯山市

中野市豊田地区(旧永江村)で育った高野辰之は、苦学の中から近代の国文学に大きな功績を残した。辰之は国文学者・教育者でありながら、「故郷」「紅葉」「朧月夜」など文部省唱歌の作詞もした非凡な人物である。

旧永田小学校跡にある高野辰之記念館では、生前を振り返る映像作品や貴重な資料が展示されている。記念館から歩いて5分の場所には生家がある。幼い頃の辰之が遊び学び育った場所で、現在も子孫が住み守っている(敷地内は非公開)。唱歌「ふるさと」の「かの山、かの川」が一望できる橋として有名なふるさと橋もスポットのひとつ。

高野辰之ゆかりの地と記念館について、さらに深く知りたい方はこちらの記事をご覧いただきたい。

【作曲家】中山 晋平(なかやま しんぺい)|中野市

3000曲以上の愛され歌い継がれる作品を残した稀代の作曲家 中山晋平は1887年に下高井郡新野村(現在の中野市新野)に生まれた。少年時代から秋祭りの能楽で笛を披露するなど音楽に触れ才能を発揮していたという。高等小学校を卒業後、中野小学校(現在の信州中野銅石版画ミュージアム)で教鞭をとった。

中野市新野には中山晋平生家と記念館がある。展示室には晋平の偉業を伝える資料や年譜、愛用した遺品などが展示されている。現在でも生家には孫にあたる方が住んでいるが、外観は見ることができる。

【女優】松井 須磨子(まつい すまこ)|長野市松代・須坂市

1913年、中山晋平が作曲し大ヒットした「カチューシャの唄」は長野県松代町出身の女優 松井須磨子が『復活』で歌い一世を風靡した。須磨子は信州松代町清野に士族の五女として生まれ、幼少期を養子先の上田で過ごした。

数々のスキャンダルを乗り越え時代の重圧に屈しない女優として死ぬまで演技し続けた須磨子、いま松代町清野の生家墓所に眠っている。真田家2代信政の霊屋として建立された松代町清野の浄土宗林正寺には、須磨子自筆の歌詞を刻んだ歌碑や、遺影や遺品などが保管されている。

長野県出身・ゆかりの偉人・著名人まとめ

本記事で紹介した以外にも長野県出身・ゆかりの偉人・著名人は数多くいる。歌人 島木赤彦、画家 いわさきちひろ、民俗学者 柳田國男。存命人物では芸術家 草間彌生、作曲家 久石譲などが挙げられるだろう。

Skima信州では偉人・著名人ゆかりの地を実際に訪れた記事を多数掲載している。ぜひ参考にしながら足を運んでみてほしい。

参考資料
軽井沢高原文庫, 「軽井沢の文学 堀辰雄」.
長野県博物館協議館公式サイト, 「堀辰雄文学記念館」.
・KURA, 2005, 『著名人の足跡を辿る 信州の旅』株式会社カントリープレイス.
新宿中村屋, 「松井須磨子」.
信州なかの産業観光公社, 「高野辰之ゆかりの地とふるさと遊歩道」.
曹洞宗梅洞山岩松院, 「みどころ」.
信州小布施北斎館, 「ご利用案内」.
藤村記念館,「島崎藤村について」.
長野県小諸市, 「文豪 島崎藤村」.
木曽おんため観光局, 「宮ノ越宿と木曽義仲史跡めぐり」.
義仲館資料館
上田市立博物館, 「上田を支えた人々 上田人物伝」.
真田宝物館, 「真田家と城下町松代」.

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この記事を書いた人

Skima信州編集部

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