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鬼無里(きなさ)に鬼はいないの?鬼無里の伝説と地名の由来

今回は長野県長野市北部に位置する「鬼無里(きなさ)」という地名について考えていきます!

まず読めないよね。そして意味が分からないよね。

鬼のいない里?

調べてみるとやっぱりビンゴでした。

鬼無里には鬼がいたのです。

そんな鬼無里の伝説、実際に足を運んで確かめてきました!おひまな方は雑学の足しにご一読ください。

地名の謎シリーズはこちらにまとまっています。

ツーリングにもおすすめな観光スポットは参考記事:鬼無里の観光をしよう!もご覧ください。

「鬼無里」の由来を調べていたら、土地の歴史と伝説が見えてきた!

「鬼無里」という地名の由来を調べるべく、まずはなんの下調べもなしに鬼無里へ向かいます。

松嚴寺(しょうがんじ)というお寺に行くと、すぐにいろいろなことが分かってきました。お寺で関連本をいくつか入手し、鬼無里の歴史と伝説を学びます。

鬼無里はもともと「水無瀬」だった

「鬼無里」はもともと「水無瀬(みなせ)」という名前の土地でした。それがとあるきっかけで「鬼無里」に変わったのだそうです。

「水無瀬」はとても栄えた場所で、飛鳥から都をこの「水無瀬」に移そうという計画も出ていたほど。これは日本書紀にも記述が残っています。

「水無瀬」はむかし湖であったことに由来

「水無瀬」には「水の乏しい川」や「水の枯れた川」という意味があります。

鬼無里は山に囲まれた盆地になっていますが、太古の昔は湖であったという伝説が残っています。湖からは3つの倉「虫倉山」「荒倉山」「戸倉山(現存しないが遷都伝説他いくつかの記録あり)」が顔を出し、その間を舟で行き来していたそうです。

山奥の村に今でも船を形どった社紋の残る神社があったり「舟つなぎの樹」が残っていたりと、昔の様子に思いを馳せることができます。

その後虫倉山と荒倉山の間「銚子口」と呼ばれるあたりから水が流れ出し、湖だった場所に人が住み始めます。こうしてできたのが「水無瀬」という土地なのです。

鬼がいなくなった里は「鬼無里」になった

やっと本題。

そんな「水無瀬」が「鬼無里」という名前に変わったのは、ある伝説によるものだとされています。

伝説の鬼が討伐されて「鬼無里」になったというもの。有名な「鬼無里」の伝説を2つご紹介します。

鬼1「遷都伝説」

まずは「遷都伝説」。先ほど少し触れたように、昔飛鳥から都を「水無瀬」の地に遷そうという計画がありました。天武天皇13年(684)には信濃の国に使者が派遣され、検分したという記録が残っています。

「遷都伝説」はそんな歴史にちなんだ伝説です。

遷都を邪魔したかった鬼が運んだ「一夜山」

当時そこに住んでいた鬼たちは、自分たちの住処が都になるなんてたまったものではない!と一夜にして山を運んできて谷の真ん中にすえ、用地をふさいでしまったのです。こうして鬼が一夜にして運んだ山を「一夜山」と呼びます。

阿部比羅夫の鬼退治

遷都計画を邪魔されて怒った天武天皇は、阿部比羅夫(あべのひらふ)を鬼退治のために派遣します。鬼が退治され、鬼のいない里になったことから「鬼無里」と名前を変えたということです。

「鎮守の杜」白髯大明神は遷都伝説の証

鬼無里に鎮座する「白髯神社」は、都城の「鬼門の守護神」として勧請されたと伝えられています。

白髯神社のご祭神は猿田彦命(さるだひこのみこと)。

猿田彦命は神代の頃、高天原から皇孫の瓊瓊杵命(ににぎのみこと)が日向(宮崎県)の高千穂峯(たかちほのみね)に降りられた時、道案内をしたという神さまです。

初夏にはほたるの群生地であることでも知られています!見頃は6月下旬〜7月上旬とのこと。

鬼2「紅葉伝説」

次に「紅葉伝説」。私が鬼無里をよく知りたいと思ったきっかけでもあります。

紅葉は少女時代の名前を呉葉といい、会津で生まれました。その後上洛し、琴の名人として有名になった貴人です。源経基の寵愛を受け子供も授かりますが、とあることがきっかけで戸隠の山中に流されてしまいます。

あるところでは「鬼女」、またあるところでは「貴女」と称される紅葉の伝説とはどのようなものなのでしょうか。紅葉の送った激動の人生と鬼無里に残る伝説の面影を辿ります。

知性と美貌で出世した貴女 紅葉

鬼無里ふるさと資料館でいただいたチラシがあまりにもていねいで分かりやすいので、引用させていただきました。

別記事にて鬼無里の観光についても特集したいと思いますが、とってもおすすめな場所なのでぜひお越しください〜。

画像見ていただく方が分かりやすいのですが、要約するとこんな感じ。

鬼無里に伝わる鬼女紅葉伝説とは?平安時代、京に紅葉というたいへん美しい娘がおりました。源経基の寵愛を受けるようになった紅葉は正室から妬まれます。やがて正室を呪い殺そうとしたという罪で京から追放されてしまいました。

戸隠の山奥に流された紅葉はそこで源経基との子供を産み、経若丸と名付けます。紅葉は里の人に京の文化や技術を伝え、「貴人」「生神様」と敬われるようになります。紅葉はその土地を京になぞらえ「二条」「三条」「加茂」「春日」「高尾」などと名付けました。今でも鬼無里には京と同じ地名が数多く残っています。

月日が経ち、やはり京が恋しくなった紅葉はもう一度上京しようと決意します。しかしそれを知った朝廷は平維茂をこれに派遣し、紅葉討伐を命じるのです。

激しく交戦した両者ですが、ついに紅葉は平維茂に討ち取られ、33歳でこの世を去ります。あまりの強さに紅葉は「鬼女」と伝えられ、鬼のいなくなった里であることから「鬼無里」という地名になったということです。

(「北向山霊験記ー鬼女紅葉退治の伝」ほか参照)

他にも紅葉が近くの盗賊と組んで暴れまわっていたとか、鬼となって村を荒らしていたなんて伝説もあります。

しかし村の記録には残っておらず、伝説の域をでません。今回は「鬼無里」に残る紅葉伝説をご紹介しましたが、京では「妖怪」「鬼女」として人智を超えた悪業の数々が伝えられています。

この「紅葉伝説」を題材にした謡曲「紅葉狩り」は有名で、秋に紅葉を楽しむ「紅葉狩り」の由来にもなっています。

紅葉が流されたのは 遠い信濃の国だった

そんな「悲劇の貴人」紅葉が流されたのは、遠い信濃の国でした。

里の者たちに敬われつつも、京への追慕が消えない紅葉。ついに上京を決意するのです。

いつしか鬼と呼ばれ 平維茂に討たれることに

平維茂と紅葉の遺跡は鬼無里や戸隠、また上田市別所温泉の北向き観音などに多く残っています。地名の謎シリーズなので、遺跡についての紹介は省きます。

紅葉狩り由来の地名は他にもある

紅葉が確かにここにいたという記憶を残す地名は他にもあります。

紅葉狩り由来の地名

・龍虎ヶ原:維茂と紅葉が戦った場所

・安堵ヶ原:維茂が紅葉を討ち取り、ほっと安堵したことから

・追通:維茂が紅葉の手下を追いかけた場所(追い通す→追通)

・毒平(ぶすだいら):紅葉が維茂に毒の酒を飲ませようとしたところ

・矢元八幡:維茂が矢を天に向けて放ったところ

・矢先八幡:矢が落ちたところ

・幕の入り:維茂軍が陣を敷いたところ

他にも紅葉の頭を埋めて供養した「鬼の塚」、手下を供養した「五輪塚」など多くの遺跡があります。

紅葉の菩提寺はふたつ

そんな紅葉の菩提寺は近くにふたつあります。

松嚴寺

まずは私が初めて「貴女紅葉伝説」を知った松巖寺(しょうがんじ)。

鬼無里にある唯一の信号「鬼無里」のすぐ近くにあります。紅葉が守り尊として大切にしていた「地蔵尊」が安置されています。

境内には紅葉の墓もあります。

大昌寺

大昌寺(だいしょうじ)は鬼無里の手前、長野市戸隠にあります。

敵同士であった紅葉と平維茂が合祀されている不思議なお寺。どちらも聡明で魅力的な人物なので、誤解が解けて仲直りしていると良いですね。

「延暦年間(782〜805)鬼無里村と改称す」の文字

「長野県町村誌」によると「延暦年間(782〜805)鬼無里村と改称す」という記録が残っています。紅葉が配流されたのは天暦10年(956)なので、紅葉伝説から「鬼無里」が生まれたという説とは矛盾してしまいます。

紅葉が「鬼女」と呼ばれたのは、この土地が「鬼無里」であったことにも関係しているのかもしれません。

参考にした文献たち

今回参考にした文献たちです。

多くは地元の方々が愛情を込めて作った本ばかりなので、通販などはありません。ぜひ実際に足を運んで、お手にとってご購入くださいませ〜。

「信越古道(2,000円)」「秘境の谷 鬼無里の自然(1,500円)」「谷の京物語 伝説の鬼無里(1,500円)」。主に一番右「谷の京物語 伝説の鬼無里」を参考にしました。

大昌寺にて600円で購入しました。周辺の遺跡を写真付きで紹介しています。

まとめ:鬼無里は遷都伝説から生まれた地名?

年代などを合わせ見て考えると、鬼無里は遷都伝説から生まれた地名であるという説が有力です。

しかし鬼女紅葉にまつわる伝説もたいへん興味深く、鬼無里という土地にはまだまだ謎が隠されていることもうかがえます。

次回は「鬼女紅葉」にスポットを当てた記事も書きました!実際に足を運んで見つけた紅葉の遺跡をご紹介しています。

【連載】地名の謎シリーズ

信州の地名は、古いもので縄文時代まで由来がさかのぼるといいます。

どの地名をとっても「なぜ?」と投げかけるだけで歴史や文化、地形などを読み解けるまさに宝箱!

地名の謎シリーズでは、信州に隠された地名の由来を考察し、できれば実際に赴いて検証していきます。

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