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人生の、上り坂と下り坂が行き交う場所│千曲市・姨捨

そこは、田毎の月で知られる名月の里。

そこは、姥捨伝説のある善光寺平のどん詰まり。

そこは、スイッチバックのある駅、ひと呼んで日本三大車窓。

姨捨の字を一発で「おばすて」と読めるひとは、案外少ないかもしれない。

ただ、信州人にとって、さらに北信の人間にとっては、馴染み深い場所である。

長野自動車道が山を這うように通り、JR篠ノ井線が駆ける、交通の要衝だからだ。

中信方面や松本以南へ向かう時は、否応なしに通過する。

眼下には善光寺平が広がり、絶景といえる。

昼間は遠く街を望み、夜景は煌めく地上の天の川のようである。

昼も夜も、季節の移ろいとともに、2度と同じ姿は見せない。

自然豊かな信州。

その包容力を感じられる場所である。

ここ姨捨は人生が行き交う場所。

まぁるいお月様が、そっと見守る、人生の通過点。

 

僕は、緊張の面持ちで高速バスに乗る。

駅前の喧騒をあとにして、バスはゆっくりと走り始める。

僕は、夢へ向かって走り始めた。

ぜったいにやってやる。その密かな決心と一緒に。

最初で唯一の休憩場所が、姨捨サービスエリアだ。

夜も23時近くだろうか。

長野近郊で乗客を拾い、バスは姨捨に着いた。

夜半の青白い月光がそっと照らす駐車場では、仮眠をとる大型トラックのエンジン音が、からからと寝息を立てている。

ドアが開いて、10分だけの休憩時間。

手洗いに向かう前に、夜景が見える場所へ駆け寄る。

寝静まる街は、少し控えめな光のじゅうたんを見せていた。

明日の朝は、遠い都会で新生活が始まる。

少しだけ冷えた早春の空気を吸って吐く。

「さよなら信州」

僕はそっとつぶやいた。

 

特急しなのは振り子車体を揺らしながら、聖高原を出た。

383系列車は、独特なモーター音を奏でて、徐々に速度を上げていく。

県歌信濃の国に歌われる「穿つトンネル二十六」の碓氷峠には負けるかもしれないが、篠ノ井線もトンネルが多い。

その中でも冠着トンネルは、明治の開通当初、日本一の長さを誇った。

暗闇の中を加速して、壁面のランプが、発光する一本の線になる。

僕は、これでよいのだろうか……。

ピィーっと警笛が鳴り、視界がひらける。

目が一瞬眩み、目を開き直す。

窓いっぱいに広がる、雪景色の善光寺平。

ときおり粉雪を巻き上げながら、姨捨を通過する。

汽車の時代はスイッチバックを必ずしていたと聞くが、今の電車は力があるので、駅を横目に坂を駆けていく。

一瞬だけ、姨捨駅が見えた。

あの頃の僕が、今の僕に手を振っていた。

人生、各駅停車も悪くない――。

そう教えてくれたのは、過去の自分自身だった。

 

松本で仕事を終え、長野道をホームタウンへ向けて走る。

今日のプレゼンは緊張したなぁ。

でも、結果として、上手くいってよかった。

そんなことを頭の隅で考えながら、アクセルを微調整して、じわりと速度を緩める。

トンネル続きの区間を抜けると、善光寺平が出迎えてくれる。

横目でその景色を感じながら、ホッと息を吐く。

「あぁ、俺の街に帰ってきた」

辛いときも、楽しいときも、そして泣きたいときも、すべてを共にしてきた信州。

この地平には、僕のすべてが埋まっている。

カーブと下り坂の複合区間を、注意しながら、リズミカルに下る。

徐々に高度を下げ、僕は天空の人から地上の人へと戻っていく。

その街は、夕暮れに呼応するように、明かりを少しずつ灯していった。

僕は、日没の街に、溶けていく。

 

ここは姨捨。

人生のあらゆる場面が通過する場所。

この場所にいると、日頃の悩みがちっぽけに思えるのはなぜだろう。

それだけ、姨捨という地の器は大きいのかもしれない。

ここは姨捨。

高い場所から失礼します。

思い悩むことがあれば、一度はおいで。

ここは、ここは、姨捨なのだ。

人生の、上り坂と下り坂が行き交う場所。

今日も僕は、姨捨を上り、また下っていきます。

 

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