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三州街道・伊那部宿のスキマ歴史探訪へ。

こんにちは、Skima信州代表の信州さーもん(@goshumemo )です。

今回は伊那市を南北に通る三州街道の宿場「伊那部宿」をご紹介いたします!三州街道は別名・伊那街道とも呼ばれ、長野県塩尻エリアと愛知県三河エリアを結んだ塩の道として栄えました。塩の道とは、海のある場所から山側へ魚介物や塩を運ぶための道です。

伊那部(いなべ)は「稲辺」「鋳鍋」とも記述されることがあり、土地自体の歴史は6~7世紀頃まで遡ります。

昭和時代に伊那市に合併する前までは「伊那町」だった伊那部宿。江戸時代の面影はほとんど残っていませんが、古代から現代にかけてさまざまな歴史の折り重なる趣深い場所です。

今回は「伊那部宿を考える会」さんが発行する『伊那部宿とその周辺』という書籍を参考に、実際に訪れた様子をお届けいたします!

三州街道・伊那部宿の基本情報

名称伊那部宿(いなべじゅく)
所属街道三州街道
周辺の宿場北殿宿、宮田宿、高遠宿(高遠道)、宮ノ越宿(中山道)
所在地伊那市

春日城の城下町として室町前期〜南北朝時代に発展

この地が宿場町として整備されたのは江戸時代ですが、室町時代前期にはすでに城下町として栄えていたようです(春日城の築城年数は定かではありませんが、遺跡からこのように推測されました)。

春日城跡は現在、春日公園と名を変え土地だけ保存されています。脇には春日神社が鎮座し、そのすぐ南東を伊那部宿が東西に走っている形。当時の春日城は「鋳鍋城」もしくは「伊那部城」と記されています。

ちなみに春日城を築いたのは、当時飯田松尾に本拠地を構えていた大族・小笠原氏。深志城(松本城)を築城し、松本に本拠地を移すよりずっと以前のお話です。

伊那部宿の面影をたどる

さあ、いよいよ伊那部宿を歩きます!

この日は雨が降っていたため、写真を撮るのに苦労しました。伊那部宿西南端の看板からスタート。

宿場は150年ほど前(天保年間)にあった2度の大火で消失し、宿場町らしい面影は残っていません。唯一現存しているのは、現在資料館になっている旧井澤家住宅のみ。少し外れた西南端にあったことから、大火を免れました。

昭和時代には宿場町の真ん中に用水路が流れていたそう。伊那部宿出身の70代くらいの方から聞いた話によると「(自分の)父が子どもの頃には、道の真ん中に用水路が通っていた」とのこと(書籍で読む限りは確認できませんでしたが・・)。

河岸段丘の上に走る伊那部宿では用水を確保するのが非常に難しく、大正時代には他集落に先んじて水道が敷設されたと記録に残っています。今でも伊那部宿の裏手には井戸が3〜6つほど残っており、水道ができるまでは飲料水を毎日井戸から運んでいたのだそう。

伊那郵便局発祥の地

まっすぐ進むと、本陣の横に「伊那郵便局発祥の地」を発見。明治19年のことだそうです。発祥の地、言葉の使い方が面白い!

庚申塔石造物群

宿場の東端近くには、大きな石に彫られた庚申塔の石造物群。おそらく点在していたものを、ある時代になってこの場所に集めたのだと思います。

伊那部宿で唯一大火を免れた旧井澤家住宅へ

伊那部宿唯一の史跡にして最古の建造物「旧井澤家住宅」。元々は造酒屋だったようですが、現在は資料館として開放されています。

土間の真ん中には大きな鶴瓶井戸があり、その横にはこちらも大きな厩(うまや)。立派な梁に高い天井、ずいぶん大きな酒屋さんであったことが伺えました。

中は半2階建ですが、割と最近まで人が住んでいたような生活感を感じる内観。サクッと見て回ることができます。

今でも水の残る井戸。

旧井澤家住宅

所在地:伊那市西町5597-1

休館日:火曜、祝日

入館料:大人200円

開館時間:9:00~17:00

三州街道・伊那部宿

伊那部宿や周辺の歴史を簡単にご紹介しました。

もしかしたら、近くに住んでいてもなかなか宿場の歴史は見えてこないかもしれません。県内の方でも、気になった方はぜひ足を運んで見てくださいね。

ちなみに今回参考にした『伊那部宿とその周辺』は、旧井澤家住宅にて購入したもの。前には出ておらず「何か参考になる書籍は販売していませんか?」と尋ねたところ出していただきました。税込600円です。

三州街道・伊那街道は今後も少しずつめぐって更新していく予定なので、下の記事もチェックしていただけると嬉しいです。

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