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ここだけは押さえたい!「川中島の戦い」史跡・ゆかりの地まとめ

川中島の戦いとは、1553(天文22年)から 1564年(永禄7年)の12年余りの間に5回に渡って行われた戦いの総称です。甲斐国(現山梨県)の戦国武将・武田信玄が北信濃に侵攻した際、北信濃の豪族に助けを求められた越後国(元新潟県)の上杉謙信が応戦したことによって始まりました。

長野県北部は「川中島の戦い」の舞台となり、さまざまな史跡が残っています。その数は100箇所以上にも及びますが、今回はその中でも特に押さえておきたい史跡をまとめてご紹介します!

ちなみに名探偵コナンの「川中島殺人事件」で取り上げられた「川中島の戦い」ゆかりのスポットは、【長野】名探偵コナンの舞台で見た、川中島合戦の史跡をめぐるスキマ旅。でご紹介しています。

信玄・謙信一騎打ち「川中島古戦場跡」長野市

1561(永禄4)年の第四次合戦の際に武田信玄が陣を張った場所が「川中島古戦場跡」として公園になっています。信玄の本陣に攻め入った謙信の太刀を信玄が軍配で受け止めたというエピソードから、「信玄・謙信一騎打ちの像」があるのが見どころ。

公園内には川中島の戦いで亡くなった人たちを埋葬したとされる「首塚」も残っています。

八幡社
首塚

山本勘助の墓|長野市

川中島古戦場跡の近くで訪れておきたい「山本勘助の墓」。やや分かりづらい場所にあります。山本勘助は武田信玄の家臣にして「軍師」と知られる人物。川中島の戦いにて戦死しています。

武田信玄の弟が眠る「典厩寺」長野市

武田信玄の弟、武田信繁の墓がある典厩寺(てんきゅうじ)。兄弟仲がよかったことで知られた武田兄弟ですが、弟を川中島の戦いで失いました。合戦から60年後に松代藩初代藩主の真田信之が、武田信繁の官職「左馬助(さまのすけ)」の唐名「典厩」から寺号を典厩寺と改めて菩提寺としました。

武田信玄が築城「松代城跡(海津城)」長野市

川中島の戦いの際に、武田信玄が命じて山本勘助が築城したとされる海津城(かいづじょう)。真田信之が改め、現在は松代城と呼ばれています。三方を山に、もう一方を千曲川に囲まれ善光寺平を見渡せる立地。第四次合戦の武田軍は、海津城を拠点に出陣しています。

松代城址
松代城跡

上杉謙信が陣を張った「妻女山(さいじょさん)」長野市

川中島の戦いで上杉謙信が陣を張ったとされる妻女山。現在は展望台になっており、善光寺平や北アルプス、千曲川を一望することができます。車道があるので車で近くまで上ることができます。途中には上杉謙信が喉を潤したという伝説が残る「上杉謙信槍尻の泉(現在水は湧いていません)」や、謙信が必勝を祈願した会津比売神社内に「謙信鞍掛の松」もあります。

上杉謙信が築城「飯山城址公園」飯山市

飯山城は上杉謙信が戦略拠点として築いた城。階段式に郭を配した「後堅固の城」で、12年間かけても信玄は攻め落とせなかったといわれています。室町時代には築城されていましたが、謙信によって改修されたものです。

武田信玄が攻略に苦戦した「荒砥城跡」千曲市

信濃の豪族・村上氏の支族である山田氏によって1524(大永4)年に築かれた荒砥城(あらとじょう)。武田軍の進撃を2度も退けますが、1553(天文22)年に居城である葛尾城を攻略され、村上義清自ら火をかけて上杉軍の元へ敗走します。これが12年間に渡る「川中島の戦い」の始まりでした。

「川中島の戦い」史跡 まとめ

「川中島の戦い」でぜひ押さえていただきたい史跡やスポットをまとめてご紹介しました。川中島の戦いをテーマにゆかりの地を巡りたい方の参考になれば嬉しいです。Skima信州の中には武田信玄に攻められた山城に登ってみた記事など他にもゆかりの地記事があるので、ぜひ探してみてくださいね。

▼中世のスキマ記事はこちら!

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