こんにちは。県外在住で信州マニアのおーむら(@shinsyulove)です。
今回はエッセイ。「泣きたいときに見たい景色」がテーマ。長野県民でもないのに信州で泣きたいときなんてあるわけない。最初はそう思ったが、ふとあることが浮かんだ。
これを語るには長野県が好きになった経緯から書かねばなるまい。どうせ誰も読んでいないだろうから、多少まわりくどくてもいいだろう。
きっかけは、山だった。
大学時代、友人に誘われてふと登山を始めた。いままで登山には少しも興味がなく、もちろん登山サークルに入る気もなかった。友人といっても、入学したてに出逢ってから2ヶ月。
これほどまでに気まぐれで始めて、人生を変えたものはないだろう。登山を始めてから、長野県に何度も通うようになった。
誘ってくれた友人が松本の人間だったことから、登る山は最初から長野県だった。
都会産まれではあるが、親がアウトドア好きで小さい頃から自然のあるところに連れて行かれた。もの心つく前から旅行はもちろん、中学生になるまで釣りやキャンプもした。
中学、高校は陸上部で短距離を走って足腰を鍛え、歩くことや走ることに抵抗が無くなっていた。登山に馴染めるだけの経験を知らずにしていたというわけである。
奥行きの深さは本で知った。
ちょっとした空き時間のできることが、よくある。そういうときは本屋に行った。
驚いたことに、そこには必ずお国自慢の本が並んでいる。最初は通りすぎていたが、あるとき帰りのバスで読む本がないと思い、試しに一冊買った。
もともと地理や文化、人の営みを好きとする性格。「文化」「地理」という言葉だけだと無味乾燥なものに聞こえるが、「人」という切り口を与えると途端に輝きだす。人が紡いできた文化。人に影響を与えた地理。長野県におけるそれらの内容はとても興味深く、初めて奥深さを知った。
思い返せば昔から信州には縁があった
高校1年生の初夏、特急あずさに乗って大糸線を走った。安曇野の田園風景の向こうにそびえる北アルプス。桁違いのスケールの美しさに心を打たれ、とても印象的だった。
今でも思い出すと、当時の感激を思い出して涙がでる。
よくスキーや旅行にも行った。志賀高原の雪山感。白馬八方尾根から見る景色。乗鞍岳の標高の高いところの開放感。車山。軽井沢。小・中学校の課外授業では、3回も訪れている。八ヶ岳や霧ヶ峰、志賀高原だ。
鮮やかな空と活力ある緑、清々しい風を毎回体験していたことを、思い出す。小さいときからこれほどまでに長野県と関わっていたことに、気付いていなかった。
いつも思い出深い経験を与えてくれている。そういうことに気付いて、信州のことがますます好きになっていった。
知ることの楽しさに気付いた。
大学時代は信州への愛情を深めることに専ら時間を費やした。調べていると知識がついてくる。その知識をもとに現地をめぐると、奥深さに気付く。
趣きある街並みはかつての街道の宿場町だったり、山の白さに違いがあると思ったら気候区分が違ったり、といった具合である。
もちろん新鮮な感動を味わうのも旅の醍醐味だ。目の前の一面に広がる燃えるようなカバノキの紅葉。変な地名の由来を知ったとき。味わい方はいくらでもある。
信州は、コンテンツの多さにも気付いた。温泉、登山、ウィンタースポーツの他にも、アニメの聖地、変わった博物館、城の多さ、山奥で湧く塩水など、幅広い分野にファンがいてもおかしくないと思った。
信州への移住願望や魅力を伝えたいという気持ちから、就職活動も自ずと信州に絞られていた。信州好きな県外民の目線を活かすことができるのではないかとも考えていた。
川の流れの美しさは心に良い。
泣きたくなったのは、試験を受けた帰り道。
そう、できなかった。6月の信州はどんより暗く、余計に気分が落ち込む。下を向いて、歩道を見ながらとぼとぼ歩いた。あるところに橋があった。渡っていたら透明で美しい流れが目に入ってきた。
信州の河川は、川幅があっても水が透明。住んでいる地域ではまずこんなことはない。底が見える感動が身体を駆け抜け、思わず顔をあげた。
すると白黒の世界に浮かび上がる濃紺の有明山が目に飛び込んできた。雲が垂れこめ、芸術作品のような奥ゆかしさを感じた。風の匂いや川の音など、心地よい感触がどっと身体に入ってきた。
川の流れをもう一度見た。水が絶えずつくる模様や川底で揺らめく水草を見ていると時間を忘れる。
泣きたい気持ちも流されていくようで、前向きになれた。
結局信州での就活は失敗して実家から通える会社に勤めている。満員電車に揺られる生活を送りながらも、月に4日以上は信州にいる立派な信州オタクだ。
いつか移住してやるぞ。今度はどこへ行こうか。そんな前向きさをくれたのは、あの日下を向いていたぼくに信州が見せてくれた、安曇野の景色のおかげかもしれない。