軽井沢「聖パウロカトリック教会」を建てたアントニン・レーモンド|戦争によって翻弄された建築家の光と闇

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軽井沢聖パウロカトリック教会

軽井沢…と聞くと私は「聖パウロカトリック教会」が自然に思い浮かびます。
教会が多く存在する地にあっても抜群の知名度を誇り、旧軽井沢のメインストリートの裏通りにある小さな建物です。

この教会がいつ頃からなぜこんなに有名になったのかは、Google検索をしたりWikipediaを読めば、その歴史の一端を紐解くことができます。
そしてああなるほど、と納得できる答えや説明が見つかるはずです。

ここでは日本において宗派を問わずにキリスト教式結婚式を挙げることができるようになり、それが一般に浸透するきっかけとなった教会(諸説あり)…という事についてだけ触れておきます。
なぜなら今回はその建築的な美しさや素晴らしさ、来歴では無く、聖パウロカトリック教会を設計し“日本近代建築の父”とも称される「アントニン・レーモンドさん」についてのお話だからです。

“フランク・ロイド・ライト”の助手として来日

レーモンドさんの名前を知らない方でもフランク・ロイド・ライト氏の名前は耳にしたことがあるでしょう。
そうあの旧帝国ホテルライト館(愛知県・博物館明治村に一部現存)を設計した世界三大建築家の一人です。
そのフランク・ロイド・ライト氏の設計事務所のスタッフの一員がアントニン・レーモンドさんだったのです。

レーモンドさんは1888(明治21)年にオーストリア=ハンガリー帝国(現在のチェコ共和国)で生を受けました。
プラハ工科大学で建築を学び、22歳という若さでアメリカへの移住を果たします。
やがて市民権を得、設計の仕事をしていたこともあり、縁あってライト氏の元で働き始めます。
それから9年を経た31歳の時1919(大正8)年にライト氏と共に来日。
その後、約1年間ライト氏の右腕となり旧帝国ホテルライト館の設計・建築に邁進したのです。

旧帝国ホテルライト館(愛知県・博物館明治村)

日本が気に入ったレーモンドさんは1922(大正11)年34歳になると、ライト氏の元から独立し自らの名を冠した建築事務所を東京に開設。
西洋と日本の技術を織り交ぜ、後に木造モダニズムと呼ばれるスタイルを確立していきます。

その翌年1923(大正12)年に関東大震災が東京を襲いました。
壊滅的な被害を被った東京は復興建築ブームとなります。

レーモンド建築事務所は海外の大使館をはじめとして数多くの建築を手掛けることになり、日本の近代建築の礎を築くことになるのです。
そして日本における自らの地位や建築事務所としての立場を確立していきました。

異国の地で手腕を発揮する“モダニズム建築家”

古くは明治時代から、軽井沢は避暑地・別荘地として外国人からも非常に愛されてきた町です。

当然のようにアントニン・レーモンドさんも軽井沢に親しみ、1933(昭和8)年には自らの家族とスタッフが過ごすための別荘と建築スタジオを兼ねた夏の家を建てました。
この家はロイド氏同様に世界三大建築家の一人と称されるル・コルビジェ氏のアイデアにヒントを得、ヨーロッパに於いてコンクリートを素材として考案された“モダニズム建築”を日本の建築素材・木材で表現した、これまでにない新たな試みでした。

軽井沢タリアセン内「夏の家(現ペイネ美術館)」

兼ねてからレーモンドさんと親交があった英国人司祭レオ・ウォード神父はこの夏の家を訪れ、外国人信徒のための教会建築をレーモンドさん率いる建築事務所へ一任することを決意します。
レーモンド建築事務所が西欧の近代建築にも通じ、同時に日本建築についても造詣を深めていたからに他なりません。

こうして軽井沢聖パウロカトリック教会の設計が始まりました。
カトリック教会を日本で作るという試みは、言葉を換えれば異なる文化を融合し、昇華させていくものでもあったと思うのです。
それにはレーモンドさんの柔軟な思考と、たしかな知見や技術が不可欠でした。

1935(昭和10)年に聖パウロカトリック教会は完成します。レーモンドさんが初来日を果たしてから16年後、47歳の時でした。

現代の基準でみてもモダンで開放的な「夏の家」のリビング

戦争により露わとなった“影の顔”

一方、レーモンドさんは建築家とは別の顔も持っていました。

1919(大正8)年に初めて日本を訪れた時から既に、米軍から密命を帯びて情報活動をしていたのです。
さらに第二次世界大戦が始まると、アメリカへ帰国していたレーモンドさんは、実物大の木造日本式家屋を建築してアメリカ軍の焼夷爆弾開発に協力していました。

それでも日本への深い愛着を捨てきれなかったのでしょうか。
第二次世界大戦が終結した2年後、1947(昭和22)年59歳の時に再び日本の地へ降り立ちます。
そしてこの件に関して、一部の日本人建築家からは激しく非難され糾弾されることになりました。
第二次世界大戦末期には多数の爆撃機が日本に襲来し、数多くの命が失われたことを考えると、それは当然のことだったでしょう。

実際にどのような戦争被害を被ったのか、当時日本の六大都市と呼ばれた各都市における空襲回数をみてみましょう。

東京:122回
横浜:29回
名古屋:63回
京都:5回
大阪:50回
神戸:128回

甚だ心が痛む数字です。
かくも多くの空襲があり数多くの爆撃機が当時の日本の空を覆い尽くしていたのです。

ところで他の都市に比較して京都のみ圧倒的に爆撃回数が少ないことにお気づきでしょうか。
日本の建築に詳しく歴史的建築物が多い古都京都への爆撃中止を米軍上層部へ進言していたのもまた、ほかならぬアントニン・レーモンドさんであったのです。
もしかしたらいまある京都と数多くの世界遺産が守られたのは彼の尽力に寄るものなのかもしれません。

厳かな空気感に包まれた「聖パウロカトリック教会内祭壇」

戦争で問われる“個人の意思”

もともと移民であったレーモンドさんは既にアメリカで市民権を得ていました。来日後、長い年月を過ごすこととなった日本の人々や風土をこよなく愛し、自らの生活の基盤をこの国で築いてきました。
それにも関わらず、戦争によって自らの意に反して?創作活動ではなく破壊活動に携わらなければならなくなったのです。

自身の日本における建築作品は異なる文化や建築技法を見事に融合昇華させたものでした。
ですが、異なる国や文化が最悪の形でぶつかった時には、戦争と言う最悪の事態が起き、それは個人の意思を踏みにじることになってしまうのです。

ここではレーモンドさんの善悪やその行動の良し悪しを問うつもりはありません。
ですが戦争という国と国の対立と大きな歴史的うねりの中に飲み込まれた一個人の有りようを思い描いてみて下さい。
それぞれの国、それぞれの立場で自分に何ができて何ができないのか、自分はどう生き何を願い何を望むのか…、一人ひとり出て来る答えはまるで異なるものでしょう。

そしていま、平和な日本においてそうした想像を巡らせるのは簡単ではありませんし、また当時の厳しい状況を知る方々はどのような気持ちを抱かれるのでしょう。
それでも想像してみていただきたいのです。
自分ならその時にどう行動するかを…。

レーモンドさんも夏の家の窓から眺めていたであろう「浅間山」

「聖パウロカトリック教会」を訪れる皆さんへ

世界を席巻したコロナ禍が終息へと向かう今、数多くの人々が戦禍を免れた京都の史跡を楽しんでいます。

一方で日本全国が猛暑日に覆われるような真夏の酷暑にあっても、高地である聖パウロカトリック教会には涼やかな風が気持ち良く吹きわたっています。
レーモンドさんも85歳まで毎夏軽井沢で過ごし、自身の建てた軽井沢スタジオで高原の風を味わっていたはずです。

88年の生涯のうち44年間もの長きに渡り日本と言う異国の地で過ごしたレーモンドさん。
その時、彼の心のうちにはどんな風が吹いていたのでしょう。

聖パウロカトリック教会入口脇にたたずむ「聖フランシスコ像」

軽井沢で最も有名な観光地のひとつである聖パウロカトリック教会。
世界平和の守護聖人と讃えられる聖フランシスコ像がいまもその建物を見つめています。

そして皆さんがそこを訪れる時に、教会を設計し建てた人…アントニン・レーモンドさんについても思いを馳せてもらえたら嬉しいです。

また、聖パウロカトリック教会だけではなくタリアセン内に移築されている夏の家にも、是非足を伸ばしていただけたらと思います。

「聖パウロカトリック教会」のアクセスと基本情報

店名(正式名称)軽井沢聖パウロカトリック教会
所在地軽井沢町大字軽井沢179
開堂時間午前9時~午後16時 ※挙式、礼拝中は入堂不可
定休日水曜~金曜定休 ※時々不定休
入堂料無料(寄付歓迎)
公式サイトhttp://www.yokohama.catholic.jp/syokyoku_top/yb_parish_n04.html
駐車場無料駐車場あり(見学時10分のみ駐車可)
その他ペット不可

「夏の家」のアクセスと基本情報

店名(正式名称)アントニン・レーモンド夏の家(ペイネ美術館) ※軽井沢タリアセン内
所在地軽井沢町塩沢湖217
開館時間午前9時~午後17時
休館日2023年3月17日まで、6月29日(木)、9月20日(水)、11月24日(金)、12月以降定休日あり、2024年1月9日から冬季休館
入場料大人[高校生以上]:1000円
小人[小学生以上]:500円
アントニン・レーモンド夏の家ことペイネ美術館、軽井沢高原文庫、深沢紅子野の花美術館とのセット券/大人:1600円 小人:800円
団体:20名以上は1割引 団体100名以上は2割引
公式HPhttp://www.karuizawataliesin.com/look/peynet
駐車場無料駐車場あり
その他食堂・カフェあり
タリアセン公園内ペット可(ただしアントニン・レーモンド夏の家ことペイネ美術館内ペット不可)

参考文献

明石信道・文/村井修・写真 (2004)『フランク・ロイド・ライトの帝国ホテル』建築資料研究社
大久保美春 (2008)『フランク・ロイド・ライト:建築は自然への捧げ物』ミネルバ書房

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この記事を書いた人

賀來尚樹

自転車でもバイクでもクルマでも、新緑の木漏れ日の中を駆け抜けることを無常の喜びとしています。そうしてる時はあまりに幸せ過ぎて、この瞬間以外何も要らないし欲しくないとさえ思ってしまいます。そんな自分にとっての理想郷、信州の良さを少しでも皆さんとシェアしたいです。