偉人ゆかりの宿に泊まろう!長野県の歴史ある旅館・ホテルまとめ

蓼科親湯温泉|茅野市

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長野県には、歴史ある宿が数多く存在します。数十年数百年の歴史をもつ宿の中には、教科書で見たことのある偉人が泊った宿も。

しかし偉人たちが泊ったことが、意外と知られていない宿も多く存在します。そこで今回は、長野県の偉人ゆかりの宿を紹介していきます!ちょっぴり高級なところも多いですが、あなたも偉人と同じ部屋に泊まれちゃうかも!?

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戸倉上山田温泉「笹屋ホテル」|千曲市

千曲市笹屋

戸倉上山田温泉にある笹屋ホテルは、明治36年創業の老舗旅館です。旅館の一角に別荘として昭和7年に設計された「豊年虫」は、旧帝国ホテルを手掛けた世界的な建築家フランク・ロイド・ライトに指示した最初の日本人建築家磯崎新によるもの。笹屋ホテルが創業100周年を迎えた2003年には、数寄屋造りの8室が登録有形文化財に指定されました。またその際に、別荘に豊年虫という新た名前を付けました。

豊年虫という言葉は、千曲川から羽化するかげろうのこと。昭和2年に、志賀直哉が笹屋ホテルに泊まった際に書いていた短編小説「豊年蟲」に由来しています。

志賀直哉の他にも多くの偉人が泊っており、第125代天皇明仁をはじめとする皇族、国際オリンピック委員会会長サマランチ中山晋平竹久夢二美空ひばりなどが過去に宿泊しています。

旧軽井沢「つるや旅館」|軽井沢町

軽井沢町つるや旅館

つるや旅館は、江戸時代初期に中山道の宿場町軽井沢宿の休泊茶屋、旅籠鶴屋として開業した創業400年の旅館です。明治に入り、宣教師たちが軽井沢に来るようになると、つるやは旅館業を始め日本風の建物のまま、西洋的な雰囲気を取り入れました。和洋折衷のあたたかな雰囲気が、多くの偉人たちを惹きつけていきます。

大正に入ると、多くの文人、学者、実業家が訪れるようになりました。島崎藤村をはじめ、芥川龍之介永井荷風室生犀星堀辰雄谷崎潤一郎志賀直哉正宗白鳥などなど。「つるや」は文人たちのたまり場となっていったのです。

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軽井沢町つるや旅館

【休館中】ジョン・レノンが愛した「万平ホテル」|軽井沢町

軽井沢の万平ホテル

万平ホテルは現在リニューアルのため休館中!2024年(時期未定)に再開予定です。

つるや旅館と同じく、軽井沢にある万平ホテルは、江戸時代に後期に開業した旅籠「亀屋」が前身の老舗ホテル。2000年代に入ると、2006年に毎日新聞社主催ヘリテージング100選、2007年に経済産業省の近代化産業遺産に認定されるなど、近代遺産としても高い評価を受けるようになります。

明治には東郷平八郎が、大正になると室生犀星堀辰雄ウォルター・ウェストンが、そして昭和になると三島由紀夫ジョン・レノンなど多くの偉人が宿泊しました。

1970年に初めて宿泊したジョン・レノンは、故郷リバプールの雰囲気に似ていると気に入り、1976年から1979年までの4年間、毎年アルプス館で夏を過ごしていました。特に好んで泊まったのはアルプス館128号室。家具は今でも、ジョン・レノンが泊った当時のままです。

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田沢温泉「ますや旅館」|青木村

青木村にある田沢温泉 ますや旅館は、木造3階建ての高楼が印象的な老舗旅館です。高楼を含む6棟が国の登録有形文化財に指定されている歴史ある宿。

ますや旅館とゆかりが深いのが島崎藤村です。東館3階には、藤村が利用した客室「藤村の間」が現存していて、今でも宿泊ができます。なお、部屋が空いていれば見学もできるとのこと。

しばしば逗留していたという島崎藤村は、「千曲川のスケッチ」の中で、次のように記しています。

温泉にもいろいろあるが、山の温泉にはまた別の趣がある。・・・升屋というのは眺望のよい温泉宿だ。湯川の音の聞こえる楼上で、・・・遠く浅間一帯の山々を望んだ。

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太宰治ゆかり「蓼科親湯温泉」|茅野市

茅野市の蓼科親湯温泉

蓼科親湯温泉は、開湯400年とも1200年ともいわれる温泉です。戦国時代には、武田信玄が隠し湯として利用したと伝えられ、戦時中には帝国海軍の傷病院として負傷した兵士の療養施設になったこともあります。また昔あった温泉プールは、オリンピック選手が冬でも練習できる貴重なプールとして、アスリートにも愛されました。

蓼科親湯温泉には多くの文人が泊りましたが、そのきっかけをつくったのはアララギ派の歌人篠原志都児でした。篠原が伊藤左千夫平福百穂を蓼科親湯温泉へ連れて来たことが、今日の蓼科を創り上げた物語の始まりといわれています。蓼科をとても気に入った伊藤左千夫は、明治42年「蓼科山歌」10首を蓼科親湯温泉で詠んでいます。

その他にも、島木赤彦斎藤茂吉土屋文明高浜虚子柳原白蓮などの多くの文人家歌人が蓼科親湯温泉の歌や俳句を残しています。また昭和を代用する映画監督小津安二郎は蓼科に別荘を持ち、小津の日記を集めた“蓼科日記抄”には蓼科親湯温泉が17回も登場します。

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茅野市の蓼科親湯温泉

芥川龍之介らも泊まった「上高地温泉ホテル」|松本市

引用:じゃらん

上高地温泉ホテルは、創業明治19年の老舗ホテルです。大正15年に焼岳が爆発し、上高地を代表する景観となっている大正池が出現したので、大正池よりも昔から上高地に上高地ホテルはあるのです。

明治後期以降、多くの偉人が宿泊しており、明治に芥川龍之介と島木赤彦が、大正にウェストン夫妻、高村光太郎・智恵子、窪田空穂が宿泊しました。昭和になると、画家の安井曾太郎が宿泊し、およそ3年をかけて長期滞在し上高地シリーズと呼ばれる絵を描きました。

最後に-偉人が泊った宿でワーケーションもおすすめ!-

蓼科親湯温泉|茅野市

今回は長野県の偉人ゆかりの宿をご紹介してきました。紹介したほとんどの宿では当時の面影をみることができるほか、偉人たちが泊った部屋に今でも宿泊することができます。文人たちがしたように、仕事を持ち込んでゆっくり泊まりワーケーションなんかも良さそうですね!

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この記事を書いた人

Skima信州編集部

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