今回は木曽を代表する偉人・木曽義仲公の史跡をめぐったルポをお届け。史跡めぐりをするために東京から高頻度で長野県へ通っている夢跋扈さんが、木曽町の義仲館をはじめスキマな義仲ゆかりの地をご紹介してくれました!
木曽義仲とは?
木曽義仲(きそよしなか)公は平安時代末期の武将で源氏の一族。源頼朝や源義経とは従兄弟の関係にあたります。
都を追われた皇族・北陸宮を旗印に、信濃で挙兵して北陸道を進み平家を平安京から追い落とした張本人です。 しかし、平安京の支配に失敗し、後白河上皇との仲も悪くなり、源義経・範頼兄弟の軍に敗北し討ち取られました。
義仲館(木曽町)へ
長野県は木曽町日義にある義仲館を訪れました。
車で訪れるのであれば中央高速道の伊那ICで下りて国道361号&国道19号、鉄道で訪れるのであれば中央本線宮ノ越駅で下車して徒歩10分ほどです。
義仲館は、木曽義仲公が平家追討の旗挙げをするまで住んだ宮ノ越にある、木曽義仲公に関する資料館。門をくぐると木曽義仲公とその妻・巴御前の像が出迎えてくれます。 館中に入ると、正面には木曽義仲公とその家臣の人形が
- 今井兼平
- 樋口兼光
- 根井光親
- 楯親忠
- 巴御前
という順番に手前から飾られています。
こちらは、 木曽を出発して北陸を通り京都に至るまでの木曽義仲公ゆかりの地が描かれている図。
木曽義仲公は鎌倉や南関東にいる源頼朝軍に忖度して東海道側に向かわず北陸道に向かいました。また、単純に木曽から現在の長野市街地に北行したかったからということも考えられます。
木曽義仲公が比叡山の僧兵を味方につけるために書き送った文書の写しです。この文書により比叡山を味方につけた木曽義仲公は、延暦寺東塔に陣を構えます。
摂津や河内(今の大阪)は多田行綱に占拠され、東海道は安田義定が進行していたため、平安京の防衛を断念した平家は西国に逃れます。その1週間後に木曽義仲公が上洛しました。
左から平安時代の鞍、木曽義仲の陣太鼓、平安時代の甲冑です。
木曽義仲公や家臣の系図です。大きな紙に書かれているのでとても参考になりました。
義仲館
所在地:木曽町日義290-1
林昌寺|木曽義仲の養父・中原兼遠の菩提寺
義仲館周辺でめぐれる木曽義仲公ゆかりの観光スポットもご紹介します。
国道19号沿いにある林昌寺。木曽義仲公の義父にあたる中原兼遠の菩提寺です。墓所は境内右手から山を少し登ったところ。
林昌寺
所在地:木曽町日義原野4296
旗挙八幡宮|木曽義仲が平家追討の旗挙げをした
義仲公はこのあたりの平地に城を構え、その際に八幡宮を祀ったと伝えられています。さらに27歳の時にここで旗挙げをしたことから「旗挙八幡宮」と呼ばれました。今でも立身出世のご利益があるとして、多くの人々に親しまれています。
旗挙八幡宮
所在地:木曽町日義字宮ノ原2150
南宮神社|木曽義仲が柏原に築いた城の産土神として祀られた
源氏と所縁の深い美濃国一宮・南宮大社から分祠された南宮(なんぐう)神社。義仲公が柏原に築城の際現地に移し、その産土神としました。
南宮神社
所在地:木曽町日義1492
巴淵|巴御前が泳いだ伝説
独特のエメラルドブルーに渦が巻く巴淵(ともえがふち)。女武士で義仲公に使えた巴御前の名にちなんでつけられました。
巴淵
所在地:木曽町日義
木曽義仲の史跡めぐりをしよう
木曽エリアにある木曽義仲関係の史跡は1日で回りきれないほど数が多く、特に歴史好きの方にオススメです。まわり終わった時の達成感がたまりません。皆さんも是非、木曽義仲の史跡めぐりをしてみてはいかがでしょうか。
本文・写真:夢跋扈(@PurelyMatr_J )