廃線から80年!幻の鉄道「池田鉄道」跡をめぐる旅

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こんにちは、『いけだいろ』副代表の林です。

戦前の池田町に短期間存在した私鉄「池田鉄道」の痕跡をたどる小さな旅をしてみました。

廃線からすでに80年以上が経過していて、往時を知る方も減る中でわずかな文献と古い地図を頼りに、今回は北池田駅があった池田町5丁目付近から大糸線安曇追分駅までの全区間を巡りました。

今回は訪問したポイントと大まかな位置、解説付きで紹介していきます。ぜひあなたも私有地に入らないよう注意しながら、寄り道気分で池田鉄道の痕跡を訪ねてみてください。

※この記事は執筆者が副代表を務める長野県池田町の地域団体 信州池田活性化プロジェクト「Maple Tree」が発行するフリーペーパー『いけだいろ』の21号に掲載されたものを一部追記したものです。Maple Treeの取組に興味関心がある人は、下の記事もあわせてご覧ください。

池田町発フリーペーパー「いけだいろ」がつくる、知る・考える・理解するの先のこと。

池田鉄道の歴史

池田鉄道:引用-池田町史

現在の大糸線南部にあたる信濃鉄道は、安曇追分より池田町側を通って大町に向かう計画でした。しかし人口が多く良質な田畑の買収に費用がかかる等々の理由から、現在の松川村を経由するルートに決定。そこで池田、会染の有力者が集い池田鉄道は設立されました。

信濃鉄道に合わせて電車を導入し貨車も直通させましたが北池田駅が行き止まりの終点であること、路線全長が短いこと、昭和初めの恐慌の影響などの要因が重なり経営は芳しくありませんでした。電車をやめてガソリンで動く列車を導入するなど取組を続けましたが、結局昭和13年に廃線となりました。

池田鉄道の歴史を年表にまとめると次のようになります。大正5年に開通し廃業が昭和13年とたった13年間しか池田鉄道は稼働しませんでした。これが幻の鉄道といわれるゆえんのひとつなのです。

年号出来事
大正5年9月27日信濃鉄道が池田松川駅(現:JR大糸線 信濃松川駅)まで開通
大正5年7月 信濃鉄道 信濃大町駅まで開通
大正13年10月11日安曇追分から池田町までの鉄道敷設許可申請を行う
大正14年4月16日鉄道大臣より免許状が下付される
大正14年8月2日池田鉄道創立総会が招集
大正15年1月18日工事着手届けを提出し工事に入る
同年9月21日全線開通 (距離8.1km) 1日全線20往復運航,片道所要時間14分
昭和2年3月金融恐慌勃発
昭和12年頃ガソリンカーの運転始まる
昭和13年6月20日廃業
池田鉄道年表

池田鉄道を巡ってみよう

池田鉄道路線図

ここからは私が池田鉄道跡を歩いて回ったルートに沿って、池田鉄道巡りで押さえておきたいポイントや各スポットの紹介をしていきます。まわったときは車で1時間程度でした。歩きだと大変なので、車か自転車で巡るのがおすすめです。

1, 大糸線 安曇追分駅

駅を出るとすぐに現在の国道147号と交差します。周辺の道路整備により、以前鉄道と国道が交差していた正確な位置は不明です。池田鉄道をこの駅を起点に北に伸びていました。

2, 高瀬橋

今からおよそ20年前に現在の橋になりましたがそれ以前は旧橋(北側)があり、池田鉄道は旧橋を通っていました。道路にはひび割れや白い線でかすかに旧橋の痕跡が残っています。

3, 十日市駅

現在は県道328号沿いに駅跡の標柱が残っていますが、昭和6年の地図ではそれよりも北寄りに駅があったとされています。車通りが多い道で急に現れるので見過ごさないように!

4, 会染駅

内鎌バス停から程近い民家の前(というか敷地内)に標柱は建っています。会染駅は当時、旅客貨物共に信濃池田駅に次ぐ規模を誇っていました。

5, 柏木駅

柏木駅があった場所は現在、多目的研修センターという公共施設が建っているため池田鉄道の痕跡は皆無です。

ただ敷地内には標柱が経っており、標柱の向きから南北方向に線路が通っていたと考えられます。

6, 柏木~南池田

現在の県道51号線との交点は明確にはわかりませんが、昭和6年の地図(下)をみると四角で囲ったあたり(上)が、交点だと考えられます。

国土地理院発行 2万5千分の1地形図 「明科」(昭和6年測量)を一部加工して掲載

このためにわざわざ国土地理院発行の地図を取り寄せました。地図には池田鉄道の柏木駅~南池田駅あたりが載っています。

7, 南池田駅

南池田駅はホーム跡が民家の塀の土台として残っています。当時の池田実科中等学校(現 池田工業高校)に程近い場所にあるため学生も使っていたかもしれません。

8, 信濃池田駅

信濃池田駅は池田鉄道の本社も兼ね備えていた最も大きな駅舎でした。現在でもホーム跡がハッキリと残っていて、木々に覆われていますが今でも駅舎も残っています。

信濃池田駅跡が残るこの2丁目交差点から東側に伸びる道は、当時は駅前通りでした。

信濃池田駅跡には、池田鉄道を開設するパネルが設置されています。

9, 北池田駅

終点の北池田駅は現在の5丁目付近にあります。ここから大町方面への延伸構想もありましたが、構想のみで途絶えました。線路は広津地区に向かう県道の手前までだったと考えられます。北池田駅跡は写真で分かるようにホームの名残が残っています。

最後に-幻の鉄道「池田鉄道」に関する情報、募集中!-

池田鉄道

既に廃線から80年以上が経過しており跡地に家や工場があったり、田畑に還っていたりなど、正確にルートを辿ることは端から諦めていましたが、巡ってみると意外と当時の面影が残っている場所もあり興奮しました。

ぜひ皆さんにも古い地図を片手にこの道か?あっちか?と話しながら、旅をしてみてほしいです。詳しい情報をご存知の方がいれば、今後も扱っていきたいと考えていますのでぜひご連絡ください!

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この記事を書いた人

林 幸男

新潟大学で6年間地域経済を学び、長野県へUターン。