大きな岩のスキマにびっしりと詰まった観音像。
趣向を凝らしたかわいらしい石仏たち。
天龍村で石仏といえばここ、と教えてもらって以来訪れてみたかった場所だ。
中井侍のお茶摘みツアーに参加した際にその機会を得た。
住民が車座になって大数珠をぐるぐると回す「百万遍大念仏」も行われるそうだ。
「大数珠は“もんちゃ”の家にあるよ」と中井侍でお茶農家を営む方に聞いた。どうやら三十三観音は“もんちゃ”さんのご先祖さまによって安置されたようだ。
せば石の向かい側に架けられた橋の先はそのまま山の上に続いている。“もんちゃ”さんの家あたりに続いているらしい。面白い。
中井侍の三十三観音へのアクセスと基本情報
中井侍の三十三観音の最寄駅は「中井侍駅」。
駅まで歩いて登り(駅から三十三観音まで)は徒歩30分ほどだろうか。帰りは15分ほどだったと思う。
中井侍の三十三観音を探訪
岩には大きく「宝暦七丁丑年(1757年)五月吉日願主太良右エ門」と書かれている。
年代が違って見える石仏があるのは、1905(明治38)年に川の氾濫で流出し、22基が1913(大正2)年に再建したものだからだそう。
大きくせり出した岩は「せば石」と呼ばれているらしい。
“せば”は「狭い」に由来しているのだろうか。どこを探しても名前の由来は見つからなかったが、ここに何か特別なものを感じた太良右エ門さんの気持ちは分からなくもない。
せば石の間を掘りだして棚をつくり、その中に三十三体の石仏を安置している。
見比べてみると作者は一人ではないように思う。
石を彫り仏をつくるというのは、想像以上に大変な作業だ。
もしかしたら集落の人々で寄り集まって、石仏ワークショップでも開いていたのかもしれない。
みんなで何ヶ月も石を彫る。わたしは聖観音、じゃあ私は勢至観音、みたいなやりとりもあったのかしら。楽しそうだな。
この辺りは大正期に再建されたものなのかなと予想してみる。
中井侍の三十三観音 まとめ
点在しているわけではないのでひと目見て終わることもできるが、江戸時代に生きたひとりの人間がなぜこの場所に、時間とお金をかけてわざわざ三十三体もの石仏を安置したのか。
考えてみると感慨深いものがある。
いつか「百万遍大念仏」にも参加してみたい。
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