山国で海風感じる、河畔の宿町【中山道 塩名田宿】

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江戸と京都をつなぐ街道・中山道の塩名田宿(しおなだじゅく)を訪ねました。古くは塩灘、塩灘太とも書いたそうです。千曲川の河畔にあり、舟や橋で東西を行き来していました。

山国なのに、どこか海を感じる。

宿場を歩き千曲川に出ると、わずかに磯の香りがしたような気がしました。

中山道塩名田宿(佐久市)
塩名田宿から中津橋へ。

塩名田宿は長野県佐久市旧浅科村にあります。

江戸時代に宿場町として栄えた塩名田は、明治時代になると花街へと姿を変えたのだそうです。芸妓の歌う「塩名田節」の中にはこんな歌詞がありました。

 塩名田帰りの千鳥足 女房起きろよ 戸を開けろ 起きなきゃ 塩名田へ逆もどり

人と人が行き交い、寄り集まった往時の塩名田の様子がうかがえます。

中山道塩名田宿(佐久市浅科村)

これまで数多くの宿場や街道を訪れてきたわたしですが、まるで信州ではないかのような、塩名田宿独特の雰囲気には驚きました。

今回は宿場内の主な見どころをご紹介しつつ、塩名田宿の雰囲気を感じていただければと思います。

塩名田宿と宿場・街道について

塩名田宿は中山道の岩村田宿と八幡宿の間にあります。また小諸道により北国街道の小諸宿とも通じていました。

  • 宿場名:塩名田宿(しおなだ)
  • 所属街道:中山道
  • 周辺宿場:八幡宿、岩村田宿、小諸宿
  • 所在地:佐久市塩名田1385

宿場の東端、塩名田神社

中山道塩名田宿(佐久市浅科村)

塩名田の信号をはさんで、宿場が続く道の反対側には塩名田神社が鎮座しています。看板によると、1673年に塩名田宿鎮護の神社(山王権現社)として祀られたそうです。塩名田神社と改称したのは、1908年になってからのこと。

中山道塩名田宿(佐久市浅科村)

塩名田宿本陣前から中宿へ

中山道塩名田宿(佐久市浅科村)

塩名田宿本陣跡前にはバス停「塩名田」と支所、駐車スペースがあります。車で来られた方はこちらに停めさせてもらいましょう。お手洗いもあるため、観光の拠点になります。

中山道塩名田宿(佐久市浅科村)
駐車スペース前の大きな看板。

塩名田宿は本陣、脇本陣などがある「下宿」と西隣にある「中宿」と、川岸へと続く「川原宿」に分けられます。歩いても10分はかからない小さなエリアですが、それぞれ役割は異なったようです。

中山道塩名田宿(佐久市浅科村)

広々とまっすぐ敷かれた街道は、平和な時代に町ができたことを物語っています。敵の侵入を防ぐ山も、桝形のようなクランクもありません。

中世まで、この辺りがどのような土地であったのかはつまびらかではありません。塩名田宿の置かれた理由は、千曲川を前にして往還の交通を確保し、貨客の継ぎ立てを滞りなく行うことにありました。

昭和55年に信濃毎日新聞社から発行された『中山道信濃二六宿』にはこんな一文があります。

街道筋でも難場の一つである千曲川を前に一宿を必要として、北方にあった旧塩名田や、南方段丘上の舟久保・町田の住民を現位置に移して成立したのが塩名田宿である。

『中山道信濃二六宿(長野県文化財保護協会編)』より引用

塩名田宿を歩く

中山道塩名田宿(佐久市浅科村)

明治時代まで賑わった塩名田宿ですが、昭和10年代には平穏な世相は一変した、と看板には書かれていました。確かに昭和時代の街並みはあまり感じられない気もします。

中山道塩名田宿(佐久市浅科村)
中山道塩名田宿(佐久市浅科村)

「御菓子処 日野屋」さんの雰囲気が素敵だと思いました。宿場時代の屋号を残しつつ、手書きの看板。「クリスマスケーキのご予約承ります。」の旗。今は洋菓子屋さんのようでした。

日野屋を過ぎると、川原宿です。

中宿から川原宿へ下る

中山道塩名田宿(佐久市浅科村)

千曲川へと通じる中山道の道は、ここから一気に下ります。対岸の集落は標高が上がるため、地続きにも見えました。まっすぐ伸びる稜線の向こう側には山も見えず、長野県には珍しい風景。

中山道塩名田宿(佐久市浅科村)
山国で海風感じる、中山道「塩名田宿」をゆっくり実況。

坂道は緩やかに桝形を描き、上の道は中津橋へと続きます。坂の下には「お滝」があったのだそうです。この通りは「お滝通り」とも呼ばれています。

けやきの木の根元から滝のように清水が湧き、旅人の喉を潤しました。同じ場所に瀧大明神社がありましたが、現在は塩名田神社に合祀されています。

中山道塩名田宿(佐久市浅科村)

千曲川畔の三階建住居群

中山道塩名田宿(佐久市浅科村)

緩やかな坂道を下ると、目の前には3階建の「角屋」。元はお茶屋さんです。昔は3階から段丘上の道に出ていたようで、川原宿には3階建の家が少なくありません。橋が大きくなり、上の道が高くなると、2階建に2階増築して4階建になる住居もあったとか。

増築、修築を繰り返したつぎはぎだらけの住居群は、映画『ハウルの動く城』のようなファンタジーささえ感じさせます。

中山道塩名田宿(佐久市浅科村)

居酒屋や川魚料理店が立ち並ぶ川原宿。「佐久鯉」の看板も目立ちました。道は、一直線に千曲川へと向かいます。

中山道塩名田宿(佐久市浅科村)
中山道塩名田宿(佐久市浅科村)

真っ赤な橋を渡ると、御馬寄を通って八幡宿へ。川が荒れた際には連泊する方も多く、塩名田宿には交通の便を守る役目もあったそうです。

中山道塩名田宿(佐久市浅科村)

千曲川まで来ると、遠くに浅間山が見えてなんだかほっとしました。ここは信州だ。

山国で海風感じる、河畔の宿町【中山道 塩名田宿】

中山道塩名田宿(佐久市浅科村)

山国の中でどこか海町の風が吹いているような、不思議な宿場町「塩名田宿」。何があるわけではありませんが、歩いて感じるノスタルジーをあなたにも感じていただきたい、と思いました。

宿場町として誕生し、花街として栄え、戦争に賑わいを消された塩名田宿の歴史を感じにいらしてください。

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この記事を書いた人

信州さーもん

スキマな観光ライター。長野県内外、国外を旅します。長野県観光WEBメディア「Skima信州(http://skima-shinshu.com )」代表。道祖神宿場街道滝ダムため池棚田神社仏閣好きな平成生まれの魚。浅い知識を浅いままに増やしています。企画・アイディアを出すのが得意。たぶん。