農業遺産「ぬるめ」を見に行こう!-大町市上原(わっぱら)を巡るツアーに参加してみた-

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大町市コミュニティセンター上原(わっぱら)の湯が主催するスキマなツアー「みんなで ぬるめまで歩こう!」に参加してきました。この冒頭の一文に気になるワードが2つ登場します、1つ目は「上原(わっぱら)」、2つ目は「ぬるめ」です。

「上原(わっぱら)」ってどんな場所?
「ぬるめとは何なのか?」

気になるポイントを解説しながら、ツアーの様子をお届けします。(掲載している写真はツアー記録用に筆者が撮影したもので、掲載許可を得ています。)

長野県の大町市上原(わっぱら)地区とはどんな場所か

長野県大町市、北アルプスのふもとに広がる地区が上原(わっぱら)です。この地は今からおよそ5000年間~6000年前、縄文時代に人々が暮らした遺跡跡が残る場所ですが、その後長い間人が住むことはありませんでした。

上原の地に人が戻ってきたのは第二次世界大戦後。満州から引き揚げてきた人や経済的に困窮していた人たちおよそ30戸が1948年に入植し、この地を開墾しました。開拓が完了したのは1968年、なんと開墾には20年もかかったのです。

名前の由来は正確にはわかりませんが、市内と比べて一段上の舌状台地にあるので「上の段に広がる広い土地」という意味で、上原と付いたと考えられます。そしてのちに省略され現在の地名「上原(うわっぱら)」になったといわれています。

「ぬるめ」とは?-稲作のためにつくられた水路-

今回のツアーの目的地である上原の「ぬるめ」の正式名称は「上原温水路」といいます。長野県内でも珍しいこのぬるめは、上原地区のコメの収量を増やすためにつくられました。開墾当時、上原地区のコメの収量は1反あたり4~5俵でした。平成30年の長野県の平均値が約10俵なので、半分以下と収量が少なかったのです。

上原地区のコメの収量が少ない要因の1つは「水温が低いこと」でした。コメは水温が低すぎると育ちがあまりよくありません。そこで1962年、水温を上げるために「ぬるめ」がつくられました。ぬるめは底が浅い水路で完成当時は幅が約8m、長さが約600mもありました。現在は2代目のぬるめで、幅が16m、長さが約300mとなっています。

ぬるめができた後には水温が3℃上がり、収量が7~8俵になったとのこと。こうした経験から、この地には水温を1度上げると米が1俵増えるという「一度一俵」という言葉があります。

現在はぬるめが大町市の所有となり、ぐるたネットワーク大町という団体が管理運営を行う公園として開放されています。ぬるめは底が浅く危険性が低いので、小学生が川遊びをしたり自然体験したりする公園になっているのです。

ぬるめは農業遺産ですが、長野県には他にも農業にちなんだ遺産/資産がたくさんあります。興味関心のある方はこちらの記事も読んでみてください。

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ツアースタート!まずは蕎麦店わっぱら屋、昔は○○○へ

ここからはツアーの流れに沿って上原の見どころをお伝えします。スタート地点である上原の湯を出発し、まずは目と鼻の先になるお蕎麦屋さんわっぱら家へ。ここの建物は、明治42年に建設された元裁判所です。写真からも普通の古民家よりも大きく重厚感があることがわかるかと思います。

昭和55年に役目を終えた裁判所の建物は、上原後に移転復元されお蕎麦屋さんになりました。おそばを食べに行くと中の様子も見られるので、ぜひ足を運んでみてください。

開拓の地 上原

上原は開拓の地です。道中には開拓と関係するものがいくつかありました。これは公園にあった開拓の碑。昭和24年に上原のコメの収穫量は10町歩(1町歩=1ヘクタール/東京ドーム=4.7ヘクタール)でしたが、10年後の昭和30年には153町歩となりました。いかに急速に広大な地が開拓されたかがわかります。

上原はゆるやかな坂になった地にあるので、田んぼも山際に近づくにつれて高さが上がります。そこで開拓した人たちは石垣をつくって田んぼの高さを上げました。土ではなくきれいに石が積まれた田んぼの光景は上原ならではです。

「ぬるめ」がある公園 わっぱらんどに到着!

ぬるめがある「わっぱらんど」は大町温泉郷から少し山のほうに上がった場所にあります。そこにある資源を有効活用し1999年から市民の手によって続けられてきた憩いの場づくりの活動は、英国発祥の環境保護活動「グラウンドワーク」に学んだもの。市民・行政・企業の三者がパートナーシップを組んで進められてきた市民協働の成果がわっぱらんどなのです。

わっぱらんどの中はこのようになっており、ぬるめを中心に散策路が整備されています。ぬるめのほかにはツリーハウスや畑、池などがあり、夏の土日になると多くの川遊びに来た人でにぎわっています。

ツアー中はとてもおしゃべりが上手なボランティアガイドさんに案内してもらいながら、園内を散策。休憩のときには、かまどで炊いたご飯で握ったおにぎりとお漬物の振る舞いもありました。握ってくれたおじいちゃんから一言。

「みんな、ご飯をお椀に盛るときに上から押さえつけますか?押さえないですよね。ということはおにぎりも一緒です。できる限りふんわりと、握らないことがおいしいおにぎりをつくるコツです。」

たしかに、とても美味しいおにぎりでした!わっぱらんどは、先人たちの知の集積地でした。

紅葉が水面に映っていてとてもきれいでした!ちなみに冬になると水を止めてしまうそうなので、水が入ったぬるめを見たい方は春~秋の間に行きましょう。

わっぱらんどWebサイトはこちら

帰りは秋を感じながら

帰りに上原の湯に向かって歩いていると、おばあちゃんたちが何やら寄り道。道端のキノコを採っていました。正式名称はホテイシメジ、大町あたりではチョコタケと呼ばれる食べられるキノコです。

美味しいキノコですが、1点注意しないといけないポイントが。体のアルコールを分解する酵素を一時的に奪う成分を含むキノコである為、アルコールを飲む前、または飲んだ後、24時間以内にチョコタケを食べると動悸、頭痛、発疹などの急性アルコール中毒の症状がでるとされています。

大町で数十年暮らすおばあちゃんたちだから分かるものなので、知らないキノコは絶対に採らないようにしましょう!

上原のシンボル「上原遺跡」へ

最後に立ち寄ったのは上原地区のシンボル「上原遺跡」日本のミニストーンサークルともいえる環状列石と住居跡で構成される上原遺跡は、縄文時代前期中葉(およそ5000年前~6000年前)の遺跡です。

謎めいた環状列石は祭祀が営まれた遺構だと考えられています。縄文時代は今より少し暖かったみたいですが、近くにある小竪穴式住居跡の床面には焼土があり暖をとっていた痕跡が確認されています。

最後に-登山やスキーで汗をかいたら大町市 上原の湯へ!-

およそ2時間30分のツアーを終えスタート地点の上原の湯に戻ってきました。38年にわたり親しまれた大町市民浴場が建て替えられ、2005年6月にリニューアルオープンした上原の湯は、湯量豊富な源泉掛け流しの隠れた名湯です。

浴室は内湯で、浴槽は全体の半分が浅くなっており、半身浴を楽しみたい方にも最適です。また介護風呂もあるので大きなお風呂に入るのが不安な人も温泉を楽しむことができます。登山やスキーの帰りの人も、地元のおじいちゃんおばあちゃんも訪れる人気の温泉なので、ぜひ足を運んでみてください!

大町市コミュニティセンター上原の湯のWebサイトはこちら

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この記事を書いた人

ito masato

1996年長野県生まれ。大学在学中に自身が代表を務める事業が長野県地域発元気づくり大賞を受賞。現在は一橋大学社会学研究科にて国内移住に関する研究を行いながら、KAYAKURA代表として長野県を主なフィールドに観光インバウンド・移住・まちづくりのコーディネート・プランニング・調査・PRを多数手がける。2019年からは都内の企業と地方の企業や自治体をつなぐ新たな取り組みも開始。訪日観光客向け観光情報発信サイトNAGANO TRIP運営。池田町第六次総合計画審議委員。週刊SPAや公益社団法人 日本観光振興協会発行『観光とまちづくり』など寄稿多数。2019年4月から東京都国立市と長野県池田町の2拠点居住実践中.