長野県岡谷市、中央通り商店街。別名「いとまち商業会」。
昔は蚕糸産業が栄え、工女さんがひっきりなしに往来していたこの通りも、今ではシャッターが軒を連ねている。夜になると微かな街灯とネオンを残して、いとまち商業会には暗闇が訪れる。
そんな暗闇に、ひとつの灯りが燈っていた。カフェ・ヒルバレーだ。女子高生からサラリーマンまで、多様な背景を持った人たちがここに足を運ぶ。9種類以上あるコーヒーやカレーにパスタ、名物パンケーキに流行りのタピオカ、Wi-Fi環境にコンセント、マスターや常連さんとのトーク…。それぞれのお客さんに、それぞれのお目当てがある。
他にも、オシャレな店内で時おり開催されるワークショップやイベントも特徴のひとつだ。まちづくり系からヘヴィメタルまで、お客さんの提案による幅広いイベント内容があるのだから面白い。
多種多様な人たちが、それぞれの個性を持ち寄って形作られるカフェ。今回はそんなヒルバレーのオープン3周年に際してマスターの吉江さんにスキマ時間を頂き、2時間超の独自インタビューを行った。
「何故、ヒルバレーは生まれたのか」
「ヒルバレーの経営哲学とは」
「そもそも、吉江さんとは何者なのか」
そんな話に触れながら、インタビュー内容をまとめていきたい。この記事を通して、ヒルバレーに通っている方にも、この記事で初めて知った方にも、ヒルバレーの新たな魅力が伝われば嬉しく思う。
「カフェ・ヒルバレー」ができるまで
━━今回はインタビューを受けてくださり、ありがとうございます。吉江さん。
いえいえ。こちらこそ、ありがとうございます。今日はよろしくお願いします。
━━こちらこそよろしくお願いします。今日はヒルバレーの裏側を探りたいんですが、その前に、吉江さんについて少し教えてください。
いいですよ。全部ラオス語でもいいですか。
━━できれば日本語にしてください!…そういえば、吉江さんの出身はどちらでしょう?
岡谷市の隣町、長野県辰野町です。高校までは長野県にいて、大学は上京して経営学を学び、そのあと一般企業や青年海外協力隊員を経て、Uターンで長野県に戻ってきて今に至ります。
━━元青年海外協力隊員なんですか!
そのエピソードは、後でゆっくり話しますよ。アイスコーヒーをどうぞ。
━━ありがとうございます。後でじっくり掘り下げますね。そもそもなのですが、吉江さんが最初に「カフェ・ヒルバレー」の構想を閃いたのは、いつ頃なのでしょうか?
東京ビックサイトの展示会を作る仕事の営業をやっていた時に、カフェの展示会を担当しまして。色んなカフェと関わる中で「自分自身が、他のカフェにはないような、今まで得られたノウハウを全て活かしたカフェをオープンしたい」と思った瞬間があったんです。
━━なるほど。その展示会がヒルバレーが生まれるキッカケになったんですね。ちなみに、もしその展示場がレストランだったら…?
もしかしたら、レストランになっていたのかもしれませんね。結局、「いいもの」を「いいまま」提供できる自己実現の場を作りたかったという想いが原点だったので。
━━そんな原点があったんですね。ちなみに、「ヒルバレー」という店名はどのように決まったのでしょう?
元々はカフェ「ニコラシカ」になる予定だったんですよ。飼ってるネコの名前なんですけどね。というか、このネコの名前の由来を言うなら、「ニコラシカ」っていうカクテルがあって、めでたい時に仲間内で昔よく飲んでたことが始まりなのですが。
━━可愛い!でも、どうして今の「ヒルバレー」に決まったんでしょう?
カフェ作るにあたって一番大事なのは「続けること」だと私は思っています。「愛される名前にするには?」を考えたときに、所属している土地の名前ってみんな愛着を持ちやすいじゃないかと思いまして。
それで、車を運転しながら「岡谷」の文字をイジってて。ふと、「岡」と「谷」をそれぞれ英語にして…「ヒル」と「バレー」で「ヒルバレー」…これいいじゃん、と閃いて、それで決まりましたね。
━━「岡」と「谷」で「ヒル(Hill)」「バレー(Valley)」…確かに!今まで考え付くようで考え付かなかったネーミングですね!今では「ヒルバレー」以外は考えられないくらいです。
マスターの青年海外協力隊時代
━━では、店名の由来も分かったところで、先ほど気になった青年海外協力隊時代について掘り下げられればと思うのですが、当時のお仕事についてのエピソードがあれば教えていただきたいです。
色々やってたんですが、まずひとつ挙げるとすれば、ラオスの村で農業の付加価値を付けるプロジェクトですかね。その時はビーフジャーキーを作ろうとしていました。
でも、ビーフジャーキーを作った経験はない。試行錯誤しながら、製造の準備を整えて、よし!やるぞ!と思って牧場に行ったら「村に牛が一頭もいない。全て売ってしまった」って言われたことはありました。2年間を費やす計画が全てパーになりまして。あの時は、結構キましたね。
━━なかなかの挫折エピソードですね…。それを受けて、吉江さんは…。
とりあえず、仲間とヤケ酒を飲みました。そうして酒を眺めていたら、「自分もみんなも酒を飲んでるな…よしじゃあ、今度は酒を作ろう!」と思い立って。
━━転んでもただでは起きない!挫折から、また新たなプロジェクトが始まった訳ですね。
当時、周りはみんな蒸留器を持っていて、米から造る米焼酎を飲んでいたんです。じゃあ、米じゃない蒸留酒を造って、それが受け入れられれば、先行者利益を取れると思ったんです。
そこで目を付けたのが飼料用のトウモロコシ。半年以上をかけて、イチからちゃんと製造しました。でも、販売してみたら全然売れなくて。また挫折しました。
━━挫折の連続だったんですね。
そうですね。でも、並行していくつかのプロジェクトが進んでいたので、転んだままではいられませんでした。その頃は、メコン川の近くで水道管事業もしていたんです。メコン川ってメチャクチャ汚いんですよね。女の子が砂混じりの水で髪を洗っていて、乾かしても砂で髪がガビガビになっているのを見て、キレイな水が必要だと思って。
━━行動力が半端じゃない。その水道管事業の結末も気になるんですが…どうなったのでしょう?
まず、現地の大使館や赤十字や建設省を巡って、水道管建設のための資金や設計図をゲットしました。それを村に持って帰って、決起集会を開き、「君らが作るんだ!持続的なメンテナンスもやるんだ!」と現地の人達を煽動しました。もちろん、ラオス語で。
━━これドラマ1本できちゃうやつじゃないですか。
ただ、任期もあって、水道の完成は見られず、現地のリーダーに事業を託して日本に戻ることになりました。それからしばらくして、村長から「水道完成したよ!ヨシエの名前つけたからな!」という電話が来て。その時は、とても嬉しかったですね。そういう訳で、今でもラオスには「ヨシエ」の名がついた水道管があるんですよ。
━━本当ですか!挫折を乗り越え、ついに事業の成果が!
ラオスでは本当に色々な仕事と、挫折や収穫がありましたね。多くの学びがありました。
━━ちなみに当時の仕事で、今のヒルバレー経営に繋がっている一番の学びって何でしょう?
そうですね…。「諦めないで頑張る」ということはシンプルだけど大事だと思います。
嫌だと思って諦めたら、そこまで。「諦める」という選択もできるけど、「諦めない」という選択もできますよね。何ともならないようにやってると何ともならないけど、何とかなるようにやっていると、きっと何とかなる。
「諦めない、ということだけは選択できる」。それは今でも生きている青年海外協力隊時代の大きな学びです。
━━そうした青年海外協力隊時代を経て、今の吉江さん、そしてヒルバレーがある訳ですね。だんだん、カフェ・ヒルバレーに潜む魅力の正体が見えてきたような気がします。
「地の塩」に込められた経営哲学
━━吉江さんのバックグラウンドを聞いた上で、俄然このヒルバレーについて気になってきたのですが…そういえば、メニュー表の裏に書いてある塩の説明には、どういう意味が込められているのでしょう?
これは聖書で登場する言葉「地の塩」から来ています。塩はものを腐らせない、浄化作用のある聖なるものとされてきたんですね。「地」は社会を指していて、社会を浄化できるような経営をしていきたいという想いがあります。
また、「地の塩」は、ヒルバレーを含む、私がもつ会社名義でもあります。その会社の経営理念を一言で表すなら「LET’S ENJOY TOGETHER」ですね。
━━「LET’S ENJOY TOGETHER」。このメッセージには、どんな想いが込められているのでしょう。
ひとりではなくみんなと楽しむ場所。家や学校以外の、第三の居場所を作りたいと思いまして。窮屈な社会から抜け出したいときにヒルバレーに足を運んだら、ちょっとでも新しい出会いがあった、そんな場所を目指しています。
━━なるほど。今のヒルバレーの経営は「地の塩」の哲学と「LET’S ENJOY TOGETHER」の想いで出来ていた訳ですね。
名物メニュー パンケーキ誕生秘話
━━ヒルバレーの経営哲学を教えて頂いたところで、ここ3年のメニューの変遷について伺いたいと思います。開店当初に用意していたメニューは、どんな感じだったのでしょうか?
最初に決めていたのはコーヒーと紅茶とウイスキーです。あとはカレーやハヤシライス。20代の女性客中心に口コミが広がりました。それからだんだん客層も多様化していき、ある日、カルフォルニアの方からもコーヒーのお褒めの言葉を頂いたりもして。そうしたお客さんからの反応をもらいながら、段々とメニューも増えつつ、固まっていきました。
━━ちなみに、現在の名物メニューのパンケーキが生まれたキッカケはありますか?
女子高生が好むメニューを、当時の従業員だった女子高生に作ってもらおうと思ったのがキッカケですね。「自分で考えたメニューが実現したら、面白くない!?」と巻き込みまして。
そこからクリームとシロップたっぷりのふわっふわパンケーキ像が生まれて、ありがたいことにそれが好評で、今に至ります。
━━なるほど。私も食べたことがあるんですが、本当に美味しいんですよね…。今では、タピオカドリンクやカオマンガイなどのメニューも人気ですよね。これからのメニュー開発も楽しみです!
クジラの壁画に込められた想い
━━そういえば、ヒルバレーの店内には印象的なアートが何点もありますよね。最初に目が行くのは何と言っても、このクジラの絵。躍動感があって、クジラを形作っている魚一匹一匹の模様が特徴的です。
これは1周年記念の壁画アートですね。同郷である辰野町出身のグラフィックデザイナー、中谷麻友子さんに作っていただきました。コレ一発描きなんですよ。
━━コレ一発描きなんですか!すごい…。でも、ただのクジラじゃないですよね。この魚の群れに込められた意味などがあったら教えてほしいです。
私も含め、ここに来る一人ひとりの個性が、このカフェを形作っているんですよね。この魚の群れは、その個性を象徴しています。ここに来られる方は個性をイキイキと発揮されている方が多くて、そうした個性との出会いを求めて足を運びたくなるような場所になれば、と思っています。
━━なるほど確かに。この「カフェ・ヒルバレー」という場所には、多種多様な個性をもつ方々が足を運んでいる印象です。そんなヒルバレーのマスターとしての楽しみはありますか?
お客さんの変化を楽しむことと、スタッフの方とのコミュニケーションですね。これはヒルバレーのマスターを続けている中での楽しみになっています。
最初は、「誰か」が来るという状態でしたが、最近では、ほぼ毎日「久しぶり、元気してた?」があるんです。だんだんと、顔馴染みが増えていく。そして、お客さん自身に、職場が変わっていたり結婚していたりという変化がある。それをヒルバレーという定点で観測できるのは、結構、面白いことですよ。
そういう意味で、カフェって社会の縮図でもあるんです。周りの人の変化を見るのは、身近な社会の変化を見ているということでもあるんですね。そういう「社会」を身近で実感できるのもカフェの魅力です。
それに、スタッフの方とのコミュニケーションも、とても楽しいですよ。従業員の方は、高校生から、お子さんを育てながら働いているママさんまでいらっしゃいます。コーヒーの淹れ方を教えたり、一緒にメニューを作ってみたり。関わる人の意欲次第で色々と出来てしまうのも楽しいですね。
━━確かに、ヒルバレーで働いてると色々な出会いがありそうで楽しそうです!そういえば、ヒルバレーさんは現在店舗スタッフも募集していますよね。
興味のある方は、この記事の最後で紹介しているヒルバレーの連絡先に是非ご連絡ください。スタッフ一同、お待ちしております。
3周年に寄せて「LET’S ENJOY TOGETHER」
━━ここまで、吉江さんのヒストリーに始まり、ヒルバレーの裏側まで探ってきたわけですが、私自身、新しい発見があった取材になりました。ありがとうございました。では最後に、3周年に寄せて、お客さんへのメッセージをお願いします。
まずは、3周年ということで、お客様に感謝の気持ちを伝えたいと思います。本当に、ありがとうございます。そして、これからも変わらず、カフェ・ヒルバレーらしく、お客さんと交流し続けたいですね。
合言葉は、「LET’S ENJOY TOGETHER」。さぁ、一緒に楽しみましょう。
カフェ・ヒルバレー
公式HP:https://chinoshio-hillvalley.jimdo.com
所在地:長野県岡谷市中央町2-4-18
電話:090-1264-2658
営業時間:月・水・土・日10:00~22:00(L.O:21:30)、火・木10:00~20:00(L.O19:00)