「命の洗濯」は思い出の場所で|上高地 小梨平キャンプ場

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こんにちは、温泉マニア大学生の力路郎(@OfAdriatic10)です。

 

「命の洗濯」・・・

それは、人なら誰しもが必要不可欠なものであるように感じる。

僕は時々、「命の洗濯」をしに旅に出る。

山、温泉、自然、人のいないところ・・・

上高地』はそんな場所のひとつ。

そこには、”泣きそうな時に見たい景色” が広がっているからだ。

 

大学1年の夏休み。過去に経験したことの無い長期休みで、日々時間を持て余しながら過ごしていた。

山に行きたい・・・

高校時代、山岳部に所属していた僕は、ふとそういった衝動に駆られることがある。

思い立ったが吉日。ザックに最低限の野宿用具を詰め込んで、家を飛び出してみた。まるで家出をするかのように、ドキドキとワクワクが混ざった気持ちで。

そうして電車とバスを乗り継ぎ、夕暮れ間近の上高地に降り立った。

 

季節は9月中旬。夏山シーズンも終焉を迎えようとしていたころ。

夕方ということもあり、人はまばら。いつもの人集りは見られなかった。

 

誰もいない河童橋というのも珍しい。

 

橋の上でひとりぼんやりと、正面にそびえる穂高連峰を眺めてみた。

 

本日のキャンプ地、小梨平キャンプ場まで森の中を歩く。

いつもは観光客でいっぱいの小路も、この日はもう人影もなく少し寂しげ。

 

言うまでもなく、上高地の水は美しい。森の中を縫うように川が流れる。

目を凝らすと魚が泳いでいた。イワナだろうか。良いな。

 

子どもの頃、両親に連れられて上高地へ来たことがあった。その時見た水の美しさ。これが今でも忘れられない。

その後、自然に興味を持ち始め、山にも登るようになった。今となっては、すべては上高地がきっかけであるように思える。

 

キャンプ場に到着。

林の中にぽつりぽつりと先客のテントが張られている。みんな夕食を食べながら思い思いの時間を過ごしているようだ。

もうすぐ日が落ちる。こんな遅くにテント場に着くことは本来なら非常識なことであるのだが。

 

Myテントを設営。

隅っこにひっそりと張ってみた。やっぱり静かな方が良い。

俗世間から離れて一人になれる。それが山旅の一番の魅力であると僕は思う。

 

目の前にはこの景色。普通のキャンプ場でこれは贅沢だ。

みるみると日が落ちて辺りは真っ暗に。さて、夕食を作らなければ・・・

 

これが今夜のメシ。なんと質素な夕飯でしょう。だが、自分にはこれくらいが合ってると思ったりもする。

夜は恐ろしいほど冷え込んだ。でも、極寒の中で眺めた星空が驚くほどに美しかった。

星明かりに照らされて、穂高の山並みがぼんやりと浮かび上がっていた。

 

朝、小鳥のさえずりで目が覚める。これぞまさに、”清々しい朝”という感じ。

今日の予定は特に決めていない。たまには時間を忘れてぶらぶら歩いてみたい。

山旅って、案外時間に追われることが多い。こういうゆる~いキャンプが自分には合っているのかもしれないと、新たな発見。

 

朝日に照らされる穂高連峰。あの山のてっぺんには今日も人が登っているのだろうか。

 

反対側には活火山の焼岳。こちらも朝日に照らされていつも以上に男らしく見える。

 

「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」

川の流れを目にすると思い出す一文。方丈記の冒頭だ。

 

川には朝もやが発生していた。昼間とはまた違う神秘的な景色に圧倒させられてしまう。

 

しかし、この朝もやが見れるのはたったの30分ほどらしい。しばらく眺めていたら霧が晴れてきてしまった。

これも諸行無常。万物はいつも流転し、変化や消滅がたえない。

 

この「諸行無常」の世界観、大事にしていきたいと思った。

永遠に残るものはない。全て絶えず変化している。

一瞬一瞬を大切にする生き方をしよう。

 

この場所から見る穂高連峰が一番のお気に入り。これが ”泣きそうな時に見たい景色” かもしれない。

「命の洗濯」をするために上高地へ訪れると、毎回、生きるうえで大切なことを教わる気がする。

上高地はこれからも自分にとって心の拠り所であり続けるだろう。

 

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この記事を書いた人

力路郎

北信濃出身・大阪在住の大学生です。趣味は温泉めぐり。暇さえあれば全国の極上湯を求めて一人旅しています。現在300湯に入湯。山奥の湯治宿や鄙びた共同浴場に憧れます。