再び線路がつながる日に向けて…アルピコ交通上高地線沿線まち歩き

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こんにちは!まち歩きライターのむーさんです。

鉄道沿線まち歩きシリーズ、第4回はアルピコ交通上高地線です。

上高地線はどんな路線?

アルピコ交通上高地線(以下、上高地線)は、松本市の松本駅〜新島々駅間の15km弱を結ぶ路線です。松本市民の通勤・通学の足であるとともに、上高地や乗鞍といった観光地へのアクセスも担っています。

当記事では、上高地線が1日乗り放題となる「上高地線電車わくわく一日フリー乗車券」を使って、上高地線沿線のまち歩きスポットを紹介していきたいと思います。

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上高地線電車わくわく一日フリー乗車券

「上高地線電車わくわく一日フリー乗車券」は、松本~新島々の往復運賃と同額の1,420円で上高地線が1日乗り放題となるのに加えて、沿線の飲食店・土産物店等での特典も付いたお得なきっぷです。バスによる代行輸送となっている区間(後述)でも、鉄道と同様に利用できます。

新島々駅~上高地・乗鞍への玄関口~

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新島々駅舎
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新島々バスターミナルは駅に併設

今回の上高地線沿線まち歩きは、終点・新島々駅からスタート。

各地へ向かうバスの運行拠点に

新島々駅にはバスターミナルが併設されており、上高地・乗鞍・白骨温泉などの観光地へ向かうバスが発着しています。上高地へは松本駅からも直行バスはありますが、新島々駅で電車からバスへ乗り換えるのがメインルートとなっています。

駅のすぐ近くには、旧島々駅の駅舎も保存されています。

旧島々駅復元駅舎解体
取材直後、2022年2月に旧島々駅の復元駅舎解体が始まったようです。現在は見ることができません。

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旧島々駅

1922(大正10)年の全線開業当初、上高地の終点は現在の新島々駅から1駅先の島々駅でした。島々駅へ至る線路が1983(昭和58)年の台風被災の影響で廃止となってからは、新島々駅が上高地線の終点となりました。

新島々駅から徒歩5分ほどのところに梓川が流れており、川を渡れる場所もあります。この辺りは扇状地の広がる松本盆地の入口に位置しており、河原には上流にあるような比較的大きな岩が転がっていることが特徴です。

梓川沿いには大きな丸い岩が並ぶ
対岸への集落へとつながる橋

対岸の集落へとつながる橋には欄干などがありませんので、通行の際には十分注意してください。

波田駅~農業のまちの歴史を物語る波田堰~

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波田駅舎

続いては新島々駅から松本方面へ2駅、波田駅で途中下車。駅前の道を歩いていると、なにやら気になる看板を見つけました。

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日本アルプスサラダ街道。安曇野市から松本市(波田・梓川地区)、山形村、朝日村を通って塩尻市へと至る観光道路です。1980年代に「日常の農村風景を楽しむ」ことをコンセプトに制定されたこの街道沿いには、リンゴやソバなどの畑が広がっているそうです。

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波田駅のある旧波田町(松本市に編入)はスイカの産地としても知られる、農業の盛んな地域。サラダ街道沿いにも種苗などの販売店もあり、生活と農業が密接な関係にあることがうかがえます。

そんな波田の農業を支えてきたもののひとつが、波田駅の南側を流れる波田堰です。明治初期に完成した波田堰は、梓川の水を波田の農地へと引き、地域の田畑の生産向上に寄与してきました。

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波田堰の水路を使って、水車を用いた小水力発電の実証実験も行われているのだそうです。小さな水路ではありますが、様々な形で地域の発展に貢献していることがわかります。

▼波田エリアの関連スキマ記事

北新・松本大学前駅~通学需要を担う“長野で一番長い駅”~

全長15kmにも満たない短い路線で、特に目立つのが学生たちの姿です。上高地線のほぼ中間地点には北新・松本大学前駅があり、その名の通り松本大学を中心に学生の通学需要を担っています。

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改札へと向かう学生たち

これは平日朝9時台の新島々行きの電車の様子。2両編成の電車は学生でほぼ満席となっていましたが、北新・松本大学前駅でほぼ全員が下車していきました。ちょうど、大学の1限が始まる時間だったのでしょうか?

学生がいるとローカル線の景色は一気に賑やかになりますね。

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北新・松本大学前駅舎

こぢんまりとした北新・松本大学前駅ですが、実はとある「長野県で一番」があります。

北新・松本大学前(きたにい・まつもとだいがくまえ)駅は現在、長野県内の鉄道駅で最も長い駅名(15字)となっています。なお県内第2位は飯山市にある戸狩野沢温泉(とがりのざわおんせん)駅で、10字です。

ところで、北新・松本大学前駅周辺では「ものぐさ太郎」というワードをよく見かけます。ものぐさ太郎とはいったい…?

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そば店の「ものぐさ太郎」
「新村ものぐさ自然公園」

北新・松本大学前駅の南側には、室町時代に成立したとされる民話『ものぐさ太郎』の伝承地とされている場所があり、現在その場所にはものぐさ太郎の像が立っています。

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ものぐさ太郎の像

ものぐさ太郎が住んでいたのが「信濃国筑摩郡あたらしの郷」。北新・松本大学前駅に加え、両隣の駅が下新・新村と、いずれも「新」の付く駅が連続しています。こんなところで昔の民話とつながってくるとは。地名を気にしながらのまち歩きは非常に興味深いものです。

渚駅~海を思わせる地名が示すもの~

続いては、渚駅へとやってきました。駅のホームと自転車置き場が一体化しているのが面白いですね。

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いきなりですが、こんなことを考えた方はいらっしゃらないでしょうか?

「海のない長野県に、なんで海っぽい名前の駅があるの?」

松本市内には、江戸時代から昭和初期までにあった町名の記憶を残すことを目的として「旧町名標識(旧町名碑)」が各所に設置されています。渚地区の町名碑は「田川地区地域づくりセンター」前にあるので、実際に見に行ってみました。

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渚地区の旧町名標識

“渚の地名は、奈良井川、田川、穴田川、大門沢川などが流れ、絶えず水がただよう場所であったことに由来するという。”海の波打ち際、というイメージのある渚という名前ですが、ここでは川の分岐点のような意味合いが大きくなっています。

地図を見てみましょう。

赤い線で囲まれた部分が渚地区ですが、西に奈良井川、東に田川が流れ、まさに川に挟まれた地形になっています。松本盆地にはこうした地形があちこちで見られます。

余談にはなりますが、渚地区から奈良井川沿いに北西に進んだところには、JR大糸線の島内駅・島高松駅と「島」の付く駅名が連続しています。これら2駅の周辺も上記の画像と似たような、川に囲まれた地形になっており、地名と地形がリンクしていることがよく分かります。

ややニッチな視点にはなりますが、「内陸なのになぜ海っぽい地名が…?」と思ったら、ぜひその周辺の地図を見てみてください。新しい発見があるかもしれません。

渚駅に戻ってきました。

ここから電車に乗って松本駅へ…と思ったのですが、ここで線路が途切れています。

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渚駅の松本寄りは不通となっており、バリケードが設置されている。

2021年8月の豪雨災害の影響で西松本駅付近の橋梁が被災し、松本駅~渚駅間はバスによる代行輸送となっています。

最後に、被災状況の現状と将来に向けた動きについて触れたいと思います。

上高地線を襲った災害。そして未来へ。

2022年2月現在、松本駅から上高地線に乗車する場合は、松本駅から代行バスに乗車して渚駅で新島々方面の電車に乗り換えることになります。

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代行バスは松本駅アルプス口から乗車。
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渚駅での乗り換えの様子
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松本駅には、不通により動けなくなった上高地線の車両が約半年に渡り停車している。

今回被災したのが、西松本駅付近の田川橋梁。先述した渚地区の両端を流れる川のひとつです。豪雨による田川の増水で橋が歪んでしまいました。現在復旧作業が進んでおり、2022年6月の全線運行再開を目指しているとのことです。

※下記の写真は2022年1月12日撮影。その後1月中旬から橋梁の解体工事が始まり、6月の再開を目指し新たな橋梁が造られるようです。

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遠目からでも橋の歪みが分かる。
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正面から。被害の大きさが伝わってくる。

今回の被災後、SNS上では「#はしれ僕らの上高地線」というハッシュタグで、上高地線の早期復旧を願う声が多数届けられています。また、沿線各地ではSNSパネルが作られ、そこで撮影した写真の一部が新村駅の構内に展示されています。

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この活動を行っている「しましま本店実行委員会」では、月1回程度の不定期開催で「本の駅・下新文庫」を下新駅構内で開いています。興味がある方はそちらもぜひチェックしてみてください。

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豪雨災害からの復旧といえば、2021年春に全線運行を再開した上田電鉄別所線が記憶に新しいですが、上高地線も地域の人々に支えられながら、運行再開に向けて歩みを進めているところです。

上高地線は2022年で全線開業からちょうど100周年。新たなスタートを切ろうとしている上高地線の今後に期待です。

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この記事を書いた人

むーさん

茨城県出身。都内の旅行会社勤務を経て、2020年夏から長野県民。善光寺近くのゲストハウスで働いています。ニッチな街歩きを極めていたら、なぜかNHKからオファーがきました(NHK長野『ブラナガノ』む〜隊長)