趣き深い宿場に梓川の河岸段丘。散策に最適な波田町の魅力。

※当サイトのコンテンツにはプロモーション(広告)が含まれています

今回は松本市波田(旧波田町)の紹介です。波田町といえば、松本周辺の方や登山好きな方なら通過したことがあるかと思います。しかし、はっきりわかる河岸段丘があり、また高山から野麦峠を越えてくる野麦街道の宿場町がある、散策するには最高の場所です。

ローカル線にゆられて波田町に到着

松本市アルピコ上高地線

単線でローカル感たっぷりの松本電鉄。松本からゆっくりと波田へ向かいます。アルピコ交通という会社が運営しています。

お正月だったので謹賀新年の文字が。中央にはアルピコ交通のイメージキャラクター、渕東(えんどう)なぎさちゃんがいますね。ちなみにこのキャラクターは駅の名前から名付けられています。そう、実際に渕東駅と渚駅があるのです。

自然のつくり出した凹凸を体感する

波田町は梓川が形成した河岸段丘の片側にある町で、梓川が町の端を流れています。歩くと川に向かって土地が一段ずつ低くなっている様子がよくわかりました!

地理マニアはよくご存知かもしれませんね。

波田駅から旧波田町役場を経由しつつ河岸段丘をくだる

松本市波田町旧役場

さて、段をひとつくだり、波田地区の中心地へ。

旧波田町の旧役場を外から見学。新しい庁舎をとなりに建てて、こちらは保存しているとのこと。都会では考えられないですね!ペンキのはげ具合がなんかいい。にわか建築好きなおーむらは少しテンションがあがりました。

旧波田町役場

松本市波田4417-1(松本市 波田支所横)

松本市波田町

さらに坂をくだり、段丘の下へ。2段ほどくだると視界がひらけます!

こんな波田町を見たことありませんでした!一面の田んぼです!

振り返ると段丘崖がしっかり確認できます。梓川が時間をかけて形づくった産物を生で見られると嬉しくなります。

この日は天気がよく、松本の東の山々も綺麗に見えています。王ヶ頭は見えているかな〜!

だいなモさんにてランチをいただく

松本市波田町

波田町では知らない人はいないという、だいなモさんでいただきました。メニューは日替わりロール寿司ランチプレート。1,000円ちょっとでこれだけのロール寿司と小鉢、お味噌汁、さらに最後にデザートとコーヒーがつきます。

とても美味しくて、満足度の高いランチでした!夜は居酒屋になるようで、たくさんのお酒も置いてありました。天狗舞とか!

旬鮮厨房だいなモ

所在地:松本市波田町10113-2
営業時間:11:00~14:00 17:00~22:30
定休日:水曜日
電話番号:0263-92-5508

石畳が敷かれた旧宿場・門前町の上波多地区を歩く

上波多地区にさしかかると、急に雰囲気が変わります。上波多地区はかつて、岐阜県の高山と松本を結ぶ野麦街道の宿場町として、また若澤寺の門前町として栄えました。

現在のメイン街道である国道158号線が段丘の下に敷かれたこと、また明治の廃仏毀釈運動で若澤寺は壊されてしまったことで、この付近の賑わいは消えてしまいました。

松本市波田の河岸段丘

波多宿の痕跡が色濃く残る上波多。この通りは他とは雰囲気が違い、どこか郷愁を感じます。石畳、塀、道幅など、当時を思わせる風情に感激しました。

実は上波多地区は、戦国時代には城下町としても栄えたそうです。深いぞ、波田町!波多と波田。昔は波多と書かれていました。語源は、稲穂が風になびいて波のように見え、それが一面に広がっているからだそうです。

野麦街道は牛道だったため、この旧街道にある家々にある小さな小屋は牛小屋だったと思われます。牛道とは。車のなかった時代は、馬か牛が交通手段でしたね。特に馬に荷物を担がせて移動するのがメジャーでした。

蹄の関係で馬は急坂を登れないため、野麦街道のような険しい街道では牛が使われました。だから野麦街道は牛道、という言い方をします。

写真の右の石柱の文字、「波多本郷中町中」と読めます。冬の午後は陽が傾くのが早く、通りは既に日影に。これから急に冷え込んできますね。昔はこの時間にはお宿に入っていたのかな、などと当時を想像します。

道の傍に道標を発見!

道標とは、現代でいう道路にある青い看板。道しるべですね。昔は石に文字を掘っていました。分岐点などに置かれていたようです。見ていたら目の前の家の方が出てきて、「これは昔からずっとここにある。道路を直してもこれはこのまま」と教えてくださいました。

何年前からあるのだろう?

下波多ヲ経テ山形塩尻○○/渕東渡舟場

南北への分岐だったようです。北に行くと梓川にあたり、舟で渡っていたようです!さらに「別の道標が向こうにあるよ」と聞き、旧街道を外れて段丘崖へ。下の段へくだる途中、なにやら石が…!これはもしや。

しっかり分岐点に置かれています。間違いないですね!

道標ですね!

渡舟場ヲ経テ梓村ニ至ル/赤松ニ至ル

これもアツいですね。赤松というのは波田町の地名です。現代のアスファルトとは違い、森の中の土の道にある道標。忘れ去られたように置いてあります。探すと他にもありそうですね。

さて、街道に戻りそのまま突き進むと、宿場の出入り口、波多神社に着きます。

▼波多神社へ

主祭神は素盞嗚尊。参拝のあと、御神木の小楢の木にもご挨拶をしました。

こちらは若澤寺の遺物、田村堂が安置されている覆屋。室町時代に建てられたもので、国の重要文化財です。今回の波田町散歩はここまで。

江戸時代は信濃日光と呼ばれる観光名所だった波田町。その面影を感じることができる旅となりました。皆さんもぜひ散策にお出かけしてみてはいかがでしょうか。

▼散歩スポットのスキマ記事

公式LINEの友達募集広告

この記事を書いた人

おーむら

山と温泉と、なにより信州が大好きな神奈川県出身・在住のフォトグラファー。
週末のほとんどを信州に費やす信州オタク。趣味は登山、スキー、日本酒。信州の奥深さをみんなと共に感じたいと願っている。