毛無峠に風が吹く。ネットで有名な未開の地グンマーの元ネタは絶景だった。

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こんにちは!温泉ソムリエマスターのユーノオンセン(@syousya)です!

しかしながら温泉ソムリエマスターという肩書きを活かさない記事ができました。今回は有名かつ無名、いうならばB級スポットの王様みたいな場所。その名を毛無峠。数えられないほど行きました。5年前に友人と初めて訪れて、そのあまりの雄大さに感動して、魅せられて。

そんな毛無峠を、いろんな季節・時間の写真でお送りします。絶景写真。この記事にはそれしかありませんよ。

入り口は高山村。

毛無峠へは高山村から万座温泉へ続く、上信スカイラインという道の途中にあります。須坂市駅から高山村へ続く、県道112号線をずーっとまっすぐ進みましょう。しばらく進むと、「ようこそ信州高山温泉郷へ」という看板が頭上に現れます。そうしたら、右折。上信スカイラインが始まります。

上信スカイラインは、1.5車線から2車線ほどの道が続く狭い道。カーブも多く、ぐねぐねした道です。でも、私の車は軽自動車。急カーブの横Gを楽しみながら、対向車に気をつけつつ進みます。

たまに開けると、こんな感じ。善光寺平が一望できるすごい道なんです。

注目!この看板。これが毛無峠への入り口です。看板通り右折しましょう。ここまでふもとの高山村からおよそ30分。けっこう唐突に出てくるので見逃さないように!

毛無峠へ向かう道。

毛無峠へ向かう道は、さらに狭くなります。幅はだいたい1.2車線くらい。対向車に出くわしたときは、ちょっと大変。毛無峠はすごい人気スポット、というわけではないですが、帰る道もこの道なのでたまに対向車が来ます。注意しましょう。

道もガタガタ。ガタガタでうねうね。こんな不思議な道が、毛無峠へいざないます。以前、深夜の霧の深い中行ったことがあるんですが、ほんとうに泣きそうになりながらこの道を走りました。あまりにうねうねした道で、道があるはずの場所に道が見えないんですよね。あの時ばかりは行ったことを後悔しました。

さて、毛無峠も近づいてきました。

この時点で絶景です。崖側に平地が突き出している場所がちょくちょくあります。こういった場所なら車を停められるので、邪魔にならない場所で撮影しまくりましょう!落ちないように気をつけて!

毛無峠、到着。

毛無峠、到着です!

これが道のどん詰まり。この先には行けません。この写真の場所、インターネットでは「未開の地グンマー」の元ネタとして一部では有名です。

この荒涼さ、日本ではないような赤い荒野。これが毛無峠。風はビュウビュウと強く吹いており、かなりの肌寒さ。この強い風が植物の成長を抑えるため、高い木々が無いのです。そう、毛無峠の由来は、毛(木)が無い峠なんです。あと、ここで音楽PVの撮影が行われたこともあるそうですよ。

ちなみにこんな鉄搭もあります。これがまた、毛無峠の味わいを深めるアクセントになっています。遠くに見える平野はだいたい小布施~中野のあたり。

右上、見えますでしょうか。毛無峠はその強い風から、ラジコングライダーの聖地であるようです。これ、近くで見るとデカいんですよ。縦で人1人分、横が1人と半分くらい。そのほかに、車に鉄塔をつけて無線基地にするアマチュア無線の方もいらっしゃいました。

もちろんここに車を停めて周囲の探索や、登山に向かう方も多くいらっしゃいます。ちなみに、毛無峠から峠の向こう、群馬側を見ると……

これです。

この写真が、私の撮った毛無峠の写真の中でいちばんのベストショット。いっさい遮るものがない広大な緑に、空の深い青。地面の茶色がワンポイントになって、大自然を実感させてくれます。

毛無峠の魅力、お伝えできましたでしょうか。この写真はぜんぶ自分のスマートフォンで撮っています。特別な機材なんていりません。そう、簡単に、誰でも、こんな絶景写真が撮れるのです。皆さんも、毛無峠に行って絶景を堪能してみませんか?

……おっと、まだありました。

この場所。

この茶色のワンポイント。

なにかありますよね。

なにか、そう、荒れ果てながらも人のいた痕跡が見られる場所が。

ex.小串硫黄鉱山跡

そう、この場所は小串硫黄鉱山跡。「群馬県」「この先危険につき関係者以外立ち入り禁止」の看板の先にずっと続く道の終点。この場所ではおよそ50年前に廃坑になるまで硫黄鉱山があり、その鉱山に従事する鉱夫とその家族、関係者が住んでいました。

最盛期には2100名の人が暮らしていたほどの大鉱山です。小中学校や須坂との定期バスなどもあったそう。周囲にはたくさんの遺構が眠っています。鉱山の施設の跡や宿舎跡、商店の跡など。

ちなみにこの場所は群馬県。でも、ここからふもとの嬬恋村に行く道はありません。採掘した硫黄を売りに出す拠点が須坂であったため、長野側との道が発達していました。鉱山稼働時には毛無峠の下を通すトンネルもあったそう。

毛無峠の鉄塔、覚えていますか?あれは資材を運ぶため、須坂側と小串硫黄鉱山の間に作った索道なんです。ちなみに、この場所はおよそ標高1600メートルほど。そこまで高くない場所ですが、まるで高い山の上のような状態です。

これは、この近辺の土壌が酸性であったり、つねに強風が吹く毛無峠周辺独特の天候のほか、当時は環境保全という考えがまだなく、鉱山の排ガスによって一帯の高い木が立ち枯れしてしまうということがあったから。毛無峠からの独特で開放的な景観は、小串硫黄鉱山があったから、とも言えるのです。

1937年、大規模な土砂崩れがおき、死者245名という大災害に見舞われました。火薬庫の爆発などもあり、硫黄の青い火が燃え続ける恐ろしい状況だったそう。近隣・遠方問わず多くの方が救助にいらしたとか。

そんな大災害を乗り越えて小串硫黄鉱山は発展し、犠牲者を弔うための地蔵堂が綺麗に整備されていて、今でも慰霊祭が現地で行われているとのことです。

まとめ

どうでしたか。日本とは思えない最高の絶景とそれをとりまく深い歴史。強風吹く毛無峠は、晴れている日ならいつでも、あなたが来るのを待ってますよ。

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この記事を書いた人

yu-no/OnnSSenn

どんな温泉でも関係ねぇ、全部行ってやる!全部だ!
…あ、あとドライブとか曲作ったりとかその他諸々やってますハイ