長野県民なら皆歌える!県歌『信濃の国』の歌詞と意味は?

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長野県で生まれ育った人なら誰でも一度は歌ったことがあるであろう『信濃の国』。県歌を歌える県民がこれほど多い都道府県は、長野県くらいではないでしょうか?

今回はそんな長野県民に馴染みの深い県歌『信濃の国』の歌詞とその意味をご紹介します。長野県外の方も、『信濃の国』を聴けば長野県のことがもっとよく分かりますよ。

長野県歌『信濃の国』とは?

県歌『信濃の国』は1899(明治32)年に、長野県師範学校教諭の浅井 洌(れつ)先生が作詞、翌年に同校教諭の北村季春先生が作曲しました。

小学唱歌『信濃の国』が誕生した翌年の明治33(1900)年、長野県尋常師範学校の運動会でダンスと共に披露されました。これが卒業生たちが赴任先の学校で教えるなどして徐々に広まり、県民なら誰でも歌える歌になっていきました。

昭和38(1963)年、長年続いた「分県論」が湧き上がった際、議会傍聴席から『信濃の国』の合唱が起きたことで南北分県を免れたそうです。また昭和43(1968)年に白馬村で開催された国体スキー大会の開会式で『信濃の国』が流れたところ、観客席にいた約3,000もの人たちが大合唱したことも話題となりました。

こうしたことがきっかけで県歌制定への機運が高まり、昭和43年5月20日に県歌へ制定されました。

▼詳しくはこちらの記事で解説しています!

県歌『信濃の国』の歌詞と意味

▼1番の歌詞

信濃の国は 十州に

境連ぬる 国にして

聳(そび)ゆる山は いや高く

流るる川は いや遠し

松本 伊那 佐久 善光寺

四つの平は 肥沃の地

海こそなけれ物さわに

万(よろ)ず足らわぬ 事ぞなき

長野県は10の国と

接しています

そびえる山はとても高く、

川は遠くまで流れています

松本 伊那 佐久 善光寺

4つの盆地はよく肥えています

海はないけれど物産は豊かで

何も不足するものがありません

▼2番の歌詞

四方に聳ゆる山々は

御嶽乗鞍駒ヶ岳

浅間は殊(こと)に活火山

いずれも国の鎮めなり

流れ淀まずゆく水は

北に犀川千曲川

南に木曽川天竜川

これまた国の固めなり

長野県の周囲にそびえる山々は

御嶽山、乗鞍岳、駒ヶ岳

とくに浅間山は活火山で

いずれも国が安定するようにおさえています

とうとうと流れている川は

北に犀川と千曲川

南に木曽川と天竜川があり

いずれも国の発展の基礎を固めています

▼3番の歌詞

木曽の谷には真木茂り

諏訪の湖(うみ)には魚多し

民のかせぎも豊かにて

五穀の実らぬ里やある

しかのみならず桑とりて

蚕飼い(ごかい)の業の打ちひらけ

細きよすがも軽からぬ

国の命を繋ぐなり

木曽谷にはヒノキが生い茂り

諏訪湖では魚が多くとれます

県民の産業も豊かに発展し

農産物が豊かに収穫できないところはありません

それだけでなく桑を摘み取って育てる

養蚕の技術が広がり

1軒単位の養蚕農家は小規模でも大事で

国の命運を支えています

▼4番の歌詞

尋ねまほしき園原や

旅のやどりの寝覚の床

木曽の桟(かけはし)かけし世も

心してゆけ久米路(くめじ)橋

くる人多き筑摩(つかま)の湯

月の名にたつ姨捨山

しるき名所と風雅士(みやびお)が

詩歌(しいか)に詠(よみ)てぞ伝えたる

訪れてみたい園原や

旅の宿で有名な寝覚の床にも

木曽の桟橋をかけた時代に想いを馳せ

久米路橋を注意して渡りましょう

筑摩の湯(浅間温泉)に来る人は多く

姨捨山は月の名所として有名です

いずれも有名で風流な歌人や詩人が

昔から詩歌にして詠んで伝えてきました

▼5番の歌詞

旭(あさひ)将軍義仲も

仁科の五郎信盛(のぶもり)も

春台(しゅんだい)太宰(だざい)先生も

象山(ぞうざん)佐久間先生も

皆此(この)国の人にして

文武の誉(ほまれ)たぐいなく

山と聳えて世に仰ぎ

川と流れて名は尽きず

旭将軍と呼ばれた木曾義仲も

仁科五郎信盛も

太宰春台先生も

佐久間象山先生も

皆長野県の人で

文武ともに優れていました

偉人の名誉は山のように高く

その名声は永遠に忘れられることはありません

▼6番の歌詞

吾妻はやとし日本武(やまとたけ)

嘆き給いし碓氷山

穿(うが)つ隧道(トンネル)二十六

夢にもこゆる汽車の道

みち一筋に学びなば

昔の人にや劣るべき

古来山河の秀でたる

国は偉人のある習い

ヤマトタケルは妻のことを

嘆いたという、碓氷山で

そこには26ものトンネルが掘られ

蒸気機関車で山を越えられるなんて夢のようなこと

汽車のように一筋に学び励めば

昔の人に劣ることもないでしょう

昔から美しい山や川に囲まれた

長野県では偉人が育っているのだから

信濃の国に接していた「十州」とは?

現在は8つの県に接している長野県ですが、昔は10の国、つまり十州に囲まれていました。これだけの都道府県と接している国はなかなかありません。まさに「境を連ぬる」国だといえるでしょう。

▼信州に接していた十州

  • ①越後(新潟県)
  • ②上野(群馬県)
  • ③武蔵(埼玉県)
  • ④甲斐(山梨県)
  • ⑤駿河(静岡県)
  • ⑥遠江(静岡県)
  • ⑦三河(愛知県)
  • ⑧美濃(岐阜県)
  • ⑨飛騨(岐阜県)
  • ⑩越中(富山県)

県歌『信濃の国』まとめ

長野県歌「信濃の国」歌詞と意味

長野県歌『信濃の国』の歌詞についてご紹介しました。意味を知れば、長野県のことがもっとよく分かりますね。

▼長野県の歴史文化記事はこちら

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この記事を書いた人

信州さーもん

スキマな観光ライター。長野県内外、国外を旅します。長野県観光WEBメディア「Skima信州(http://skima-shinshu.com )」代表。道祖神宿場街道滝ダムため池棚田神社仏閣好きな平成生まれの魚。浅い知識を浅いままに増やしています。企画・アイディアを出すのが得意。たぶん。