伝統とはなんだろうか。
受け継がれてきたもの。受け継がなければならないもの。残していきたいもの。
それは、時代を超えて人々の暮らしや心に寄り添い続ける、静かで力強い営みだ。
そんな“伝統”のひとつに、「漆(うるし)」がある。漆とは、ウルシの木から採取された天然の塗料・接着剤で、日本では縄文時代から使われてきた。土器、かご、祭事用品、椀や皿等の生活用品はもちろん、鎧や刀などの武具、櫛や指輪などの装飾品など幅広く漆が使われていることに驚かされる。
漆が日本人にとってなくてはならない存在であった理由のひとつは、暮らしを支える実用性と、信仰を彩る芸術性とのバランスにあるのではないだろうか。優れた耐久性、耐水性、防腐性、抗菌性、防虫効果を持ち、食器や家具などの表面保護に理想的な自然塗料である。塗り重ねるほどに強度が増し、顔料を混ぜると「色漆」として美しく発色する。古来から日本では、赤く塗られた漆には魔除けや復活の力があるとされてきた。
実用性と芸術性を兼ね備えた漆は神社仏閣や仏像などとの相性も良く、修復・修理には欠かせない。近年では世界遺産の厳島神社大鳥居や名古屋城本丸御殿などでも、全国各地の漆塗り職人たちが腕を振るっている。
漆を使用した伝統工芸の産地は石川県の輪島漆器や山中漆器、福島県の会津漆器、福井県の越前漆器など全国各地にあるが、その中で少し変わった産地が長野県にある。
それが長野県塩尻市にある木曽平沢、江戸時代から続く“漆のまち”だ。今回は、修復工房で働く若手職人の川北恭世知さんと、木曽漆器工業協同組合の小林理事長への取材を通して、木曽平沢の魅力と手仕事の未来を探る。
“漆のまち”木曽平沢とは?

木曽平沢は、長野県塩尻市南部の山間、「中山道」に位置する漆器の産地で、江戸時代から続く歴史的な町だ。
町内には100を超える漆器関連工房や事業所があり、漆器の製作や販売が行われている。中でも「木曽漆器」と呼ばれる伝統的工芸品は450有余年の歴史を持ち、木曽の豊かな森林資源や湿潤な気候を活かして発展してきた。
木曽漆器には、多くの漆器に見られるような華美な装飾がなく、長く使うほどに艶が増し、より堅牢になっていくという特徴がある。尾張藩の庇護下で発展したが、やがて木曽路のお土産物として庶民たちにも愛される逸品となった。

明治時代には下地材「錆土」の発見により、堅牢な漆器の製作が可能となった。木曽春慶と木曽堆朱、塗分呂色塗の三技法が経済産業省伝統工芸品に指定され、現在も多くの工房が伝統技法を守りながら、現代の生活に合ったものづくりに取り組んでいる。
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修復から守る、漆の美と価値──小林理事長インタビュー
今回お邪魔したのは、木曽平沢の一角にある修復工房。日本でも有数の修復工房で、神社仏閣やお祭りに使われる山車などの修復や復元が行われている。お話を伺ったのは、木曽漆器工業協同組合の小林 広幸理事長。

最近では、名古屋城本丸御殿の復元や、上野東照宮など様々な漆文化財の修復に従事しました。日本国内で漆文化財を修復できる工房は限られているので、ありがたいことに継続的に案件を頂いています」。

「古いものを直すには、技術だけでなく知識もいるんです」と小林理事長。この道40年のベテランで、数々の漆文化財の修理、修復に従事し舵取をした経験もある。
「修復というのは、ただ壊れた部分を直せばいいというものではありません。元の形や使われた素材、製法を理解しないと、本来の姿に戻すことはできないんです。見た目だけを整えても、それは本物とは言えません」
小林理事長の言葉からは、修復という仕事が単なる技術作業ではなく、歴史や文化への深い理解と敬意が求められることが伝わってくる。過去の職人たちの思いや技を現代に蘇らせる、文化の継承そのものだ。

新しいものづくりの形─若手職人・川北恭世知さんインタビュー
川北 恭世知さんは、高校生の時に漆芸に興味を持ち、京都にある伝統工芸大学校の蒔絵専攻に入学した。卒業後、知人の紹介で塩尻市の地域おこし協力隊を知り、伝統工芸の発信や継業を目的に塩尻市への移住を決意。修復工房での作業を通じて漆器の修復技術を学びながら、自身の作品制作にも取り組んでいる。

「漆塗りの作業は、何度も同じ工程を繰り返して、少しずつ塗り重ねていくことが基本です。やりがいというか、自分の熱量がそのまま作品に反映されていくことが、面白さであり難しさでもあると感じています。手を抜いた場所はすぐに分かるので、上手くできた時はとても嬉しいです」。
現在は下地処理を担当。漆を塗る前に凹凸を研いで均一にしておく必要があり、その作業を「研ぎ」という。地味だが美しい漆塗りのためには欠かせない作業だ。

木曽平沢や塩尻市での暮らしについて聞くと「とても自然豊かで、季節の変化を感じられる場所だと思います。住民との距離が近いので、歩いているだけで声をかけてもらえることも」と川北さん。

しかし伝統工芸の世界は決して平坦な道ではない。川北さんは、職人としての厳しさや将来への不安を感じている。「私の学校時代の同期でも、現在まで続けている人は多くありません。職人の世界は厳しく、稼ぎも少ないのが現実です。伝統工芸というものを後世に残していくのは、とても大変なことだと思います」と語る。
川北さんのような若手職人が、伝統技術の継承に取り組む姿勢は、木曽平沢の漆器産業にとって貴重な存在だ。彼の葛藤と向き合う姿勢は、伝統工芸の未来を考える上で重要な視点を提供している。
未来につなぐ“手仕事”の力

木曽平沢は、伝統的な技術と美しい町並みが調和し、訪れる人々を魅了する町である。漆関連の工房が点在し、職人たちの手仕事を間近で見ることができる。また町全体が漆器の産地としての歴史を感じさせる雰囲気を持ち、観光スポットとなっている。
しかし伝統技術の継承や後継者不足など、課題も多い。小林理事長は、地域全体での取り組みが必要だと語る。「幅広い世代が興味を持ち、技術を学び、継承していくことが大切です。そのためにも、地域おこし協力隊のような制度を活用し、職人の育成に力を入れていきたいです」。
木曽平沢の魅力を多くの人に知ってもらい、訪れてもらうことで、伝統技術の継承や地域の活性化につながることが期待される。漆とともに生きる町・木曽平沢で、手仕事の未来を感じてみてはいかがだろうか。
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“漆のまち”木曽平沢で見つけた手仕事の未来|長野県塩尻市
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