小林 一茶(こばやし いっさ)は江戸時代後期の生まれであり、松尾芭蕉や与謝蕪村と共に江戸時代を代表する俳人のひとりです。
長野県信濃町出身の彼ですが、実は姨捨とも深い縁があります。
1799年に初めて姨捨を訪れて以来、計3,4回も中秋の名月を見に姨捨を訪れているのです。
姨捨といえば『古今和歌集』の詠み人知らず「我が心 慰めかねつ さらしなや 姨捨山に 照る月を見て」や、松尾芭蕉の「俤や 姥ひとりなく 月の友」などが有名ですが、一茶も数多くの句を残しています。
例えばわたしの好きな句はこの辺り。
一夜さは我さらしなよさらしなよ
→古来より月の名所として謳われた更科に今、自分がいることの感動が伝わってきます。もしくは感動している人々を遠くから冷めた様子で見ているという捉え方もあるようです。
名月やどこに居っても人の邪魔
→美しい名月だが、どこで見ても人が邪魔だ!
小林一茶らしい、情景が目に浮かぶような、どこか皮肉るような愉快な句ばかりですね。
姨捨かは分かりませんが、月にまつわるこんな句も魅力的です。
名月をとってくれろと泣く子かな
→お団子やお芋のようにまん丸な満月を取って欲しいと泣く子どもの様子。「おらが春」より。
姨捨にたどり着けない!小林一茶の雨男ぶりを俳句で
姨捨に数々の感動を残した一茶が再びこの地を訪れたのは、15年後の1823(文政6)年、一茶が61歳の時でした。しかしこの日は生憎の大雨。姨捨に行くどころか、千曲川を渡ることすらできなかったようです。
十五夜のよいおしめりよよい月夜 川留めや向かふは月の古る名所 翌はなき月の名所を夜の雨 名月やつい指先の名所山 渡られぬ川や名月くはんくはんと
15年経って作風が変わったものの、彼の悔しい気持ち、諦めの気持ち、諦めきれない気持ちが伝わってきます。
さらにその1年後にもリベンジしますが、またもや大雨。しかし不幸中の幸いにして、千曲川を渡ることはできたようです。
百里来て姨捨山の雨見かな えいやっと来て姨捨の雨見かな 暗き中で湧く清水
えいやっと来て、とありますからフットワーク軽く来てみたものの「雨見」となってしまったのでしょうか。しかし当時は歩きがメインでしたので、「百里来て」月が見られなかったのは大変ショックだったと思います。
越えられない千曲川は三途の川?妻子を亡くした哀しみ
一見して雨に見舞われて残念な一茶の皮肉めいた句に見えますが、一茶の人生を時系列に沿って考察することで、新たな視点が生まれます。
▼小林一茶の年表(簡略化)
誕生(1歳)
長野県信濃町の柏原に生まれる。
江戸へ奉公に(15歳)
義母との関係がこじれて江戸へ奉公に。その後10年間消息不明になる?
信濃町へUターン・二拠点生活(29歳)
14年ぶりに帰郷する。
初めての姨捨来訪(37歳)
姨捨の句を詠む(46歳)
24歳年下の菊と初婚(52歳)
菊と結婚し三男一女をもうけるが、2歳を迎える前に全員死亡。
1歳で亡くなった長女との日々を詠んだ俳文「おらが春」が誕生。
菊・病没(61歳)
一茶・脳卒中で歩行障害を患う(61歳)
2度目の姨捨訪問(61歳)
雪と再婚(62歳)
親族の紹介で38歳の雪と再婚するが、3ヶ月で離婚。
一茶・脳卒中を再発(62歳)
離婚直後に脳卒中を再発し、言語障害を患う。
3度目の姨捨訪問(62歳)
やをと再再婚(64歳)
1歳の連れ子を持つ32歳のやをと再再婚。
柏原で大火・家が全焼する(65歳)
7月の火事の後も俳諧師匠としての巡回指導を続けたが、12月に急死。
柏原の土蔵で死去(65歳)
2度目の姨捨訪問時は、4人の子どもたちとの死別の後に妻を亡くしたばかりでした。
そんな時にもう一度句を読み返してみると、
渡られぬ川や名月くはんくはんと
「渡られぬ川」は千曲川のようで、三途の川にも思えてくると、さらしな研究者の大谷さんは指摘しています。
姨捨の名月は「耐えきれない(慰めきれない)ような哀しみを背負う心」を表す鏡として表現されてきました。
渡れない川、姨捨にたどり着けない悲しみと、自身の慰めきれない境遇を重ね合わせた句だったのかもしれません。
実は雨男?!小林一茶が「姨捨」で詠んだ「雨」の句
小林一茶が雨男?!と書きましたが、実は彼が訪れた1700〜1800年頃、中秋に大雨が降ることが多かったのだそうです。
一茶が妻子を失い、病で歩行障害を患いながらも見たかった姨捨の名月。
生憎の雨だったとしても、一茶の句を思い出して目に見えない名月を楽しんでみたいものです。
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