こんにちは、Skima信州編集長の信州さーもん(@goshumemo)です。
身近なものほど知った気になって、改めて聞かれるとうまく説明できないことってありますよね。
わたしにとって、道祖神はそんな存在です。
路傍にちょこんと佇む道祖神。よく見ると顔も格好もそれぞれ個性があり、地域によって特色があるような気もする。
誰が、いつ、なんのために、なぜ、どのように作ったのか。
考えてみると謎は深まるばかり。
さらに道祖神といっても形はさまざま。東北などでよく見かける人形道祖神は、長野市の旧大岡村でも見られます。
芦ノ尻道祖神は中に道祖神が隠れており、風化を防ぐ目的でこのような装飾がなされています。
また千と千尋の神隠しに登場した石仏も、道祖神ではないかといわれています。人間と神々の世界との境界線を表していたのかもしれません。
ちなみに長野県各地で行われる火まつり(どんど焼き・三九郎など)は、道祖神のためのお祭り。お正月の松飾りを集めて燃やし、厄落としする意味を持ちます。地域によって様式が異なり、こちらもかなりディープ。
中でも「双体道祖神」といわれる道祖神は、男女が仲睦まじくしている姿が特徴的。現在では縁結び、恋愛成就ともいわれています。映画『君の名は。』のクライマックスでもこっそり登場します。
今回はそんな双体道祖神を45年間で8,000基以上記録・撮影してきた千曲市在住の小出久和さんにお話を伺いました。
小出久和さん プロフィール
千曲市出身。学習院大学卒業後、大正製薬に勤務。Uターン後は県内の商工会に勤務しながら道祖神を撮り続けた。現在は道祖神関係のガイドや、フリーカメラマンとして活躍中。著書に『信濃路の双体道祖神』がある。
双体道祖神とは、意味は、由来は。小出さんはなぜ45年間も双体道祖神を撮り続けてきたのか?気になる疑問をぶつけました。
道祖神とは?起源や意味をさぐる
ーー今日はよろしくお願いします!さっそくですが、道祖神について教えてください。長野県ではたくさん見かけるんですけど、どんな意味があるんですか?
小出さん:もともと長野県では「サエ(サイ)ノカミ」「塞・障・幸・賽(さい・さえ)の神」、奥信濃の方では「道陸神(どうろくじん)」とか、呼び名はいろいろあるんですよね。村の出入り口に置かれて、災いが中へ入って来ないようにするって意味があるんです。
ほかにも夫婦円満や子孫繁栄、豊作祈願とか。道祖神によって祈りはさまざまですね。
ーー呼び方によってスタイルや意味が変わるんですか?
小出さん:いや。神社やお寺の神像や仏像と違って特に決まった様式もないから、村の人たちが自由に注文をつける。だからひとつとして同じ道祖神はない。それが道祖神の面白いところだね。
ーー決まった形がない・・だからあんなに種類が豊富なんですね!まっすぐ前を向いて並んでいたり、手をつないでいたり。大きさも形もバラバラで面白いです。
道祖神の歴史は平安時代から!江戸〜明治初期に最盛期を迎えた
ーーそもそも道祖神って、いつ、どこで発祥したんですか?
小出さん:道祖神自体の歴史は平安時代まで遡って、史料に似た図が残っている。けれども現存している道祖神はだいたい江戸時代中期〜明治時代初期にかけてのもの。
ーー最盛期は江戸時代だったわけですね。発祥の地は……?
小出さん:う〜んそれはよく分かってないんだけども……双体道祖神の中でいちばん古いとされているのは神奈川県にある。古い元号の彫られた双体道祖神がたくさん見つかっている。長野県の辰野町には「日本最古の道祖神」ってのがあって、1500年代の元号が彫られているけど。モノを見るとさすがにもう少しあとに作られたものだなって。
ーー彫られた年代と元号が一致しないケースもあるんですね、難しい!道祖神って彫った人が誰かも分かっているんですか?
小出さん:自分たちが掘るのではなくて、石工(いしく)さんを呼んで注文するんですよ。江戸時代、高遠藩(現伊那市高遠町)の最盛期には1,300人の石工集団がいたといわれています。彼らが長野県内外に出張して、双体道祖神を作ってまわったと。長野県には約3,000の双体道祖神が残っているんだけど、高遠藩から派遣された石工が彫ったものも多い。
昔は石垣職人だった人もいたけれど、戦がなくなって、築城の必要もほとんどなくなってしまったんだよ。だから石工たちは道祖神に特化するようになった。
ーー1,300人!それで長野県には双体道祖神がたくさんあるんですね。
小出さん:長野県内に残っている双体道祖神の多くは、石工さんが2〜3ヶ月くらい出張して作ったもの。ちなみに山形村とか朝日村は高遠藩の飛び領地だから、狭い地域に優れた双体道祖神が多く残っていることも分かっています。
村の人たちがお金を出し合って、石工さんをもてなしながら彫ってもらう。当時の人からすると簡単なお金ではなかったと思うんだよね。だからこそ、道祖神には祈りが込められている。
ーー祈り、ですか。
小出さん:そう、祈り。村の繁栄、悪霊退散、五穀豊穣とか。昔は病気も原因が分からなかったし、災害も多かったし、村の人たちには守り神みたいなものが必要だったのかもしれんね。お寺や神社を建てるだけのお金はない集落も多いし。初めの頃は丸く削った石や奇石を村の入り口に置いたりするくらいだったけど、そのうち人々の繁栄を願う意味を込めて男女の姿が掘られるようになった。それも比較的仲睦まじい姿のね。
夫婦が仲よければ子供も生まれて、村の繁栄にもつながると。これが双体道祖神の始まりだといわれています。
ーー双体道祖神にはそんな祈りが込められていたんですね。
ちょっとエッチな双体道祖神。セイ(性)の神への進化?
ーー村の繁栄とか五穀豊穣を祈って作られたのが双体道祖神だとするとちょっと疑問なのが、結構おちゃらけた姿をしている道祖神も多くないですか?キスしていたり、イチャイチャしていたり……(笑)
小出さん:あるある。これとかね、よ〜く見てみると分かるけども。
ーーん〜?分からない……。
ーーあ、ああ! 懐に手を入れてる?
小出さん:そう、正解。これは乳さぐり道祖神といって、県内には3基しかない。そのうち2基は大町市旧八坂村、もう1基は生坂村にある。この辺にはスケベな村人が多かったのかもしれんねえ。
ーーお互い無表情な感じがなんとも、道祖神らしい気もする(笑)男女で寄り添う姿から徐々に連想されていったのかな?
道祖神の種類(姿)
並立型・・男女が離れて立っているもの
添立型・・男女がぴったり寄り添って立っているもの
対面型・・男女が対面して手を取り合って立っているもの
跪座型・・女がひざまづいて男に随伴しているもの
座 型・・男女共座っているもの
合掌型・・男女とも合掌しているもの(男女の区別がないものを古式型と呼ぶ)
握手型・・男女が手を握り合っているもの
肩組型・・男女が互いに肩を組むもの
抱擁型・・男女が抱擁しているもの
祝言型・・徳利、杯などを持ち婚儀の祝宴をしている姿のもの
接吻型・・口づけをしているもの
欲情型・・乳房、性器を弄っている姿のもの
交合型・・性交の姿を彫ったもの
※小出さんの著書『信濃路の双体道祖神』より引用
他にも着衣や持ち物などはそれぞれ異なります。また道祖神には単体でいるもの、子づれのもの、石ではなく木製のものなど種類は千差万別。
サエノカミから転じて性の神とも呼ばれる双体道祖神。先人の遊び心も感じられます。
エッチな道祖神といえば、天鈿女命との関係は?
ーーエッチな道祖神といえば!わたし、双体道祖神っていうと天鈿女命(アメノウズメノミコト)と猿田彦命(サルタヒコノミコト)をイメージするんです。モデルはあの2人なんですか?
猿田彦大神と天鈿女命とは
古事記に登場する神様。猿田彦大神は、天孫降臨の際に高天ヶ原から人間世界への道案内をしたといわれている。その際天鈿女命がセクシーな衣装で猿田彦大神を訪ね、後々夫婦になった。
小出さん:ああ、ありますね。年代的には新しいものが多いから、モデルというより連想させて当てはめたんだろうね。村に学のある人がいたんじゃないかな。地域ははっきりしていて、諏訪や辰野に多いことが分かる。
ーー神話と馴染みの深い地域ですね。なんとなく、当てはめた理由も分かります。
小出さん:天鈿女命らしく、自ら乳を出していたりするものも多い。
ーー天の岩戸伝説に基づいているわけですね。
ーー先ほど猿田彦命の道祖神は諏訪や辰野に多いとおっしゃいました。双体道祖神には大きくて派手なものや、シンプルで小さなものがありますが、これらに地域性はあるんですか?
小出さん:本当に千差万別で形式も決まっていないから、ないといえばないけれど、あるといえばある。
ーーと、いうと?
小出さん:例えば安曇野に大きな道祖神が多いのは、川に大きな花崗岩があったから。だいたい石っていうのは川から持ってくるんだけど、安曇野には丈夫で大きな石が多かった。だから大きな道祖神が今もたくさん残っているんだね。また、もともと扇状地だった安曇野に新田ができて、豊かになってきた時代でもある。
あそこの村はあんな道祖神を作って、潤っているらしいぞと。ならばうちはもっと大きな道祖神を作ろうとなるわけ。
ーー道祖神は、経済力や豊かさの証にもなったわけですね。五穀豊穣を願った道祖神、逆転の発想ですね!
小出さん:一方でそんなに固い石も大きな石もない地域だってある。
藁帽子に込められた村人たちの想いとは
小出さん:これをみてください。ここらでは、道祖神が砂岩で作られている。
ーー藁帽子が被せてありますね。たまに見かける気がします。
小出さん:そう。安山岩とか花崗岩とか、いい石のあるところはいいけどね。池田町とか大町市旧美麻村・旧八坂村みたいな山間地は砂岩を掘るから、普通はすぐに風化しちゃうんですよ。顔もつるんつるんになっているものが多い。
お正月の松飾りで装飾して、集落の人たちが大切にしてきたから200年も残っている。でも戦後都市化が進んで廃村になると、崩れてしまう。砂岩だから、顔だけでなく道祖神そのものが風化してしまうんです。
ーー村がなくなると、同時に道祖神もなくなってしまうんですね。
祈りのない観光道祖神の増加
小出さんによると、最近では橋の手前や撮影スポットに観光用の道祖神が作られることも多いのだとか。道祖神が有名になる一方、祈りのない道祖神も増えています。
小出さん:祈りのない道祖神は、イベント道祖神とか観光道祖神なんて呼んでる。元々はやっぱり、村人たちが祈りを込めて作ったものだから。
ーーこだわりがあるんですね。確かに形だけ似せても、それは別物なのかもしれません。道祖神には祈りがある、大事なキーワードですね。
失われつつあるものを記録することに使命感を覚えた
ーー小出さんについても少しお聞かせください。そもそも何故道祖神に興味を持ち始めたんですか?
小出さん:もともと多趣味で、最初は風景の一部として道祖神を撮っていたんです。ある時道祖神の本を読んだんですけど、綺麗な風景の中にある道祖神ばかり集めていました。そんないいとこ取りの道祖神を見て違和感を覚えて、石造文化財資料を見たらやっぱり綺麗な道祖神ばかりじゃない。そんなことを考えているうちに「まだあるんじゃないか?」って思えてきたんです。
そんな時朽ちかけ始めた砂岩の道祖神を見つけて、使命感のようなものが湧いてきたんです。戦後、双体道祖神と運命共同体であった「集落」の概念が消えて、山間地から過疎化が始まって……。今記録しないと失われてしまう、撮らなきゃいけないぞと。
ーー使命感!それで45年間も記録し続けてきたんですね。
現在は長野県の記録を終え、県外の記録・撮影を続けている小出さん。
小出さん:群馬が2200、新潟600、山梨600、静岡400、富山も行ったかな。今は神奈川で700基撮っているけど、神奈川には1700あるから、まだまだ。だいたい日帰りで行くから、往復運転して1回の遠征で15時間くらいかかるんだけど、これを5,60回くらい繰り返しているかな。最近は妻に「心配だから泊まってきなさい」と言われて、ゆっくり行くことも多いね。
ーーなんてハードな計画!それは心配になりますね。
小出さん:全国にある双体道祖神は9,000基程度。今は8,000基以上の記録が完成しているから、もう一踏ん張りといったところかな。
ーー全国の双体道祖神を記録し終えたら、また書籍化する予定はあるんですか?
小出さん:(親指をグッと立てる)
ーー楽しみにしています(笑)今日はありがとうございました!
小出さんのインタビューを終えたわたしは、双体道祖神を撮影しようと『信濃路の双体道祖神』を片手に千曲市をうろうろすることに。
「信濃路の道祖神」を使って宝探し!地図を頼りに道祖神を探してみた
地図は千曲市のとある場所を表しています。本当にこの地図を頼りに道祖神を見つけられるのか?やってみました!試しに18番を探します。14番付近の明徳寺とU字カーブを目印に進むと「さらしなの里展望館へ」の看板。
あ、あれかな?
ありました!並んで手を合わせる双体道祖神。普段なら絶対に見過ごしてしまう道祖神、こんな風に探してみるのも楽しい。ちなみにこの後14番も探しましたが、全く分かりませんでした。うろうろしすぎて不審者だったかも!