古代

古代の長野県

長野県の古代史

古墳時代

ヤマト王権が長野県域にも伸長してきた古墳時代。千曲市の森将軍塚古墳をはじめとする埴科古墳群には、ヤマト王権から贈られたとされる中国製の三角縁神獣鏡の破片が出土しました。当時の善光寺平にはこうした主要な古墳が数多く存在し、政治の中心地であったことがうかがえます。

千曲市春旅森将軍塚古墳

「科野国」の成立から「信濃」へ

645(大化元)年には大化の改新が起こり、その草創期に「科野国」が成立しました。その後 713年に「好字二字化令(こうじにじかれい)」が交付され、「科野」は「信野」を経て「信濃」と名前を改めることとなったのです。

上田市信濃国分寺

木曾義仲 挙兵!

木曽義仲は平安時代末期の武将で源氏の一族。源頼朝や源義経とは従兄弟の関係にあたります。都を追われた皇族・北陸宮を旗印に、信濃で挙兵して北陸道を進み平家を平安京から追い落とした張本人です。 しかし、平安京の支配に失敗し、後白河上皇との仲も悪くなり、源義経・範頼兄弟の軍に敗北し討ち取られました。

木曽の義仲館

古代のおすすめスポット

上田市信濃国分寺
信濃国分寺
上田市
長野県(信濃国)に設置された信濃国分寺。奈良時代の741年に聖武天皇によって、全国に60以上建立された国分寺のひとつです。千曲川から一段上がった東山道近くにあったとされており、昭和38年から46年にかけて大規模な発掘調査が行われました。
千曲市森将軍塚古墳
森将軍塚古墳
千曲市
約16,000年前の将軍塚を復元した千曲市屋代の前方後円墳「森将軍塚古墳」。誰のお墓か分からないながら、古くから「将軍塚」として親しまれてきました。大きさからこの辺りの国(科野)を治めた王の墓だと考えられています。周辺4つの古墳を合わせて「埴科古墳群」とされています。
長野県立歴史館
長野県立歴史館
千曲市
千曲市の科野の里歴史公園内にある県立の歴史館。古代から近代までさまざまな歴史的資料が展示されています。近くには復元された科野のムラや森将軍塚古墳などがあり、古代の長野県を学べるおすすめのスポットです。
松本市針塚古墳と須須岐水神社
針塚古墳
松本市
松本市の里山辺地区にある復元された「針塚古墳」。積石塚古墳で渡来人との関係が指摘されています。山辺地区に多く出土した古墳群の貴重な遺跡。同じ地区の須々岐水(すすきがわ)神社も、併せて訪れていただきたいスポットです。
松本市立考古博物館
松本市立考古博物館
松本市
松本市立考古博物館は、長野県松本市の中山地区にある考古博物館です。1931(昭和6)年に中山尋常高等小学校に創設された中山考古館を前身としています。中山地区には中山古墳群をはじめとする古代の遺跡が数多く発掘されているため、松本市域の考古学の拠点としての役割も担っています。
義仲館
義仲館
木曽町
義仲館は、木曽義仲公が平家追討の旗挙げをするまで住んだ宮ノ越にある、木曽義仲公に関する資料館。門をくぐると木曽義仲公とその妻・巴御前の像が出迎えてくれます。
茅野市尖石縄文考古館
茅野市尖石縄文考古館
茅野市
国宝に指定された「縄文のビーナス」と「仮面の女神」の2体が実物で展示されている尖石縄文考古館。尖石遺跡の中にあり、隣には与助尾根(よすけおね)遺跡があります。縄文時代における八ヶ岳山麓の豊かな生活が学べるスポット。
園原の里「箒木」|阿智村
東山道・園原ビジターセンター はゝき木館 (ははきぎかん)
阿智村
阿智村・園原の里にあるビジターセンター。

古代のおすすめ記事

望月の駒|佐久市望月
「望月の駒」
長野県佐久市旧望月町や、長野県東御市旧御牧村のあたりには古代、雄大な牧場が広がっていました。朝廷に献上する馬を養成する牧場を「御牧(みまき)」と呼びます。御牧の地名は古代の朝廷直轄の牧場があったことを示しています。御牧原は平安時代から鎌倉時代の初めまで、400年以上も朝廷の馬を養成した場所だったのです。
穂高神社|安曇野市
「安曇氏」
長野県の人気観光地「安曇野(あづみの)」。その由来には、「安曇氏」という日本古来からの大氏族が関係しているといわれています。「信濃国三宮」とも扱われ、醍醐天皇の927(延長5)年に選定された延喜式の神名帳においては、名神大社に列せられた大社である穂高神社の創始にも安曇氏に由来するとされています。
園原の里「箒木」|阿智村
「箒木(ははきぎ)」
阿智村の園原地区には、「箒木(ははきぎ)」と呼ばれる桧の古木があります。この箒木は、1000年以上も前から歌枕(地方にある和歌の名所)として朝廷の貴族に認知され、彼らもとても馴染み深い存在でありました。なぜ阿智の山奥に生えている1本の木が、貴族に認知されるようになったのでしょうか。

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