七年に一度の奇祭 長野県諏訪大社「御柱祭」とは?

※当サイトのコンテンツにはプロモーション(広告)が含まれています

御柱祭は七年に一度、寅と申の年に行われる大祭です。長野県諏訪地域を中心に行われる祭で、2022年は観光客を入れず氏子など地元住民のみで4月から山出し、里曳きなどの行事が行われます。

全国的に奇祭として知られる御柱祭ですが、その歴史や具体的に何を行うかまで知っている人は少ないかもしれません。そこで今回は御柱祭の概要や歴史、名物場面や御柱祭が知れるスポットなどをご紹介します。

御柱祭とは-平安時代から続く神事-

御柱祭(正式名称:式年造営御柱大祭)とは、七年に一度開催される平安時代から続く諏訪大社の神事です。御柱祭は全ての作業と行程が氏子と呼ばれる人々によって行われるという特徴があります。氏子の総数は約20万人とも言われており、主に20代~60代の男性が中心となって進められます。

御柱祭では大きな木を落としたり川を超えたりする光景がメディアで報じられますが、御柱祭で主に行われるのは宝殿の造り替えと、社殿の四隅に「御柱」と呼ばれる樹齢200年程の樅(もみ)の巨木を曳建てるまでの一連の行事。

御柱祭では上社下社それぞれに山から直径約1m、長さ約17m、重さ10tの巨木を8本切り出し、上社は約20km、下社は約12kmの街道を木遣にあわせて人力のみで曳き各お宮の四隅に建てます。そして4月以降になると山出し、里曳き、木落し、川越しなどの迫力ある行事が行われます。

なお諏訪大社の御柱が終わると諏訪地方の神社でも小宮祭と呼ばれる御柱祭が行われます。こうして諏訪大社の御柱祭から始まり小宮の御柱祭で御柱祭の一年が終わりるのです。

御柱祭が行われる諏訪大社の歴史

諏訪大社下社春宮
諏訪大社下社春宮

諏訪大社は全国に1万以上ある諏訪神社の総本社であり、国内にある最も古い神社のひとつに数えられます。その起源は古事記の国譲りの神話まで遡ることができるといわれています。

諏訪湖を挟むように南と北に上社と下社があり、それぞれ二社で構成されるという全国的にも珍しい四社体制の諏訪大社。それぞれ上社本宮、上社前宮、下社春宮、下社秋宮と呼ばれます。

諏訪大社の特徴として上社下社ともに神殿をもっていないことが挙げられます。代わりに上社は御山を御神山とし、秋宮はイチイの木を春宮は杉の木を御神木としています。

御山は守屋山で、上社本宮の境内すぐ近くまで迫っており、神聖な場所であるため神職以外の立ち入りが一切禁じられています。

上社本宮ではモミの巨木本宮一之御柱が見られます。次の御柱祭で新しい柱を建て替えるまで、前回の御柱の木がご神木として境内に建っているのです。

また4社いずれも御柱を見ることができますが、4本すべての御柱を見て触ることができるのは上社前宮のみです。

諏訪大社については以下の記事で詳しく解説しているので、ぜひあわせて読んでみてください。

御柱祭の歴史

御柱祭は平安初期、いまから1200年以上前から続いているといわれています。現存する最古の記録は室町時代の文献『諏訪大明神画詞』。正確な起源は明らかではありませんが、古くから行われていることがわかります。

今日諏訪大社の御柱は奇祭と呼ばれ全国から注目される特別な行事だと思われていますが、実は古くは日本中で御柱祭が行われていました。

日本三大御柱として「出雲の大黒柱」「伊勢の心の御柱」「諏訪の御柱」がありますが、3つの中で唯一諏訪大社の御柱祭だけが古くからその姿を変えずに残していると言われています。

長い御柱祭の歴史の中では危険な祭であるため死者も出ています。近年では1980年、1986年、1992年、2010年、2016年に死亡事故が起きてしまっています。それでも古くからの形を変えずに行われ続けている御柱祭に氏子の思いと人々を惹きつける凄さを感じますね。

御柱祭の名物場面を知ろう

天下の奇祭と呼ばれる御柱祭には、一般的な祭では決してみることがない変わった行事が行われます。その中には氏子が命をかけて行うものも。そこでここでは御柱祭の名物場面をいくつかご紹介します。

御柱祭の名物Ⅰ 「木落とし」とは

御柱祭
下諏訪町デジタルアルバム 木落し https://d-commons.net/shimosuwa?c=51&p=2010

御柱祭には多くの印象的な場面がありますが、最も知られるのが山出しの2日目と3日目に行われ過去には生中継で全国放送されたこともある下社の木落としです。

舞台となるのは国道142号線沿いの道からみえる斜面。最大斜度が35度にもなるもはや壁のような急斜面を、御柱は男たちを乗せて一気にかけ下ります。柱に乗る人たちは命がけであり、観衆はその光景に熱狂するのです。

坂を下る御柱の先頭に乗る人は「華乗り」と呼ばれ最高の名誉とされます。2022年の御柱祭でもこの光景はオンラインや後日放送で観られると思うので、ぜひチェックしてみてください。

御柱名物Ⅱ 「川越し」とは

上社山出しのラストイベントとして行われるのが川越しです。山出しの2日目と最終日にその名前の通り、茅野市中河原と安国寺の境にある川幅約40mの宮川を越える行事です。

順番は「本一(本宮一之御柱)」から始まり「前一」「本二」と、「本宮」と「前宮」の柱が交互に川を渡り「前四」で終わります。4月とはいえ雪解け水はとても冷たく、増水したり雪が降ったりする中でで行われることも。毎年川の状況は異なるため木落とし以上に危険であるといわれることもあります。

御柱祭の名物Ⅲ 「建御柱」とは

御柱祭
下諏訪町デジタルアルバム 建て御柱 https://d-commons.net/shimosuwa?c=51&p=2093

祭のフィナーレを飾るのが各宮の四方に柱を立てる建御柱です。曳いてきた御柱にワイヤーを巻き付け、車地という道具を使って巻きあげて御柱を建てていきます。建てる最中は御柱に多数の男たちが乗り、掛け声とともににぎやかに盛り上げる光景が圧巻です。

ちなみに建御柱は御柱祭の象徴的な場面として知られており、1998年の冬季長野オリンピックの開会式では会場で建御柱が行われその様子が全世界へと中継されました。諏訪だけでなく長野県全体を代表する伝統文化であることがわかりますね。

御柱の歴史祭が知れるスポットⅠ 下諏訪町 駅前観光案内所

下諏訪町
駅前観光案内所には御柱祭ゆかりの品々が展示されています

2022年は新型コロナウイルス感染拡大の影響で御柱祭自体を観ることはできませんが、諏訪エリアには御柱の歴史や伝統を知ることができるスポットがいくつかあります。ここではおすすめの2か所をご紹介します。

1か所目は諏訪大社下社春宮と秋宮がある下諏訪町の玄関口 下諏訪駅に併設された駅前観光案内所です。

ここで水曜日以外観光案内をしているのが御柱名物 木遣(御柱祭で唄われる木遣り唄)でキングレコードからCDを出したこともある小松さん。下諏訪観光コンシェルジュで御柱祭のことであれば何でも知っています。

木遣保存会に所属する小松さんがいるときであれば、なんと目の前で本物の木遣を披露してくれます。至近距離で聞く木遣は迫力がありとても引き込まれます。ぜひ訪れた際には「木遣を聞かせてください!」とリクエストしてみてください。

御柱祭の歴史が知れるスポットⅡ おんばしら館よいさ

下諏訪町 観光

2016年に諏訪大社下社春宮から徒歩2分の場所にオープンしたおんばしら館よいさは、御柱祭の歴史を紹介する施設です。御柱祭に長年携わってきた案内人による御柱祭の解説は、本を読んでも画面を通してもわからない秘話と体験談にあふれています。

よいさの目玉は、上下する木に跨り御柱祭の華乗(柱に乗る人)の目線からの映像とともに木落し坂を下る躍動感を体験できる「木落し体験装置」。ちょっと恥ずかしいですが、装置に乗った感覚は意外とリアル(本物の御柱に跨ったことは無いけど)です。

以上2か所はどちらもも下諏訪町にあります。以下の記事では下諏訪町の楽しみ方について詳細に紹介しているので、ぜひあわせて読んでみてください。

最後に-御柱祭 2022年は観光客の観覧無しで開催-

御柱祭
御柱祭の最新情報は公式ホームページをご覧ください

本記事では長野県諏訪大社で開催される御柱祭について解説してきました。今年2022年は御柱祭の年ですが、新型コロナウイルス感染拡大の影響を受け観光で来訪される方々については、御柱大祭のすべての祭事に関し観覧を遠慮いただくことが公式に発表されました。

なお2022年御柱祭の開催方針は随時変更となる可能性があるため、公式に発表されるガイドラインを随時ご確認ください。観光客は参加できませんが2022年の御柱祭も盛り上がると良いですね。

御柱祭 公式ホームページはこちら

公式LINEの友達募集広告

この記事を書いた人

Skima信州編集部

Skima信州は「信州のスキマを好きで埋める」をキャッチコピーに長野県のニッチな観光スポットや情報をお届けするローカルWEBメディアです。