長野県長野市松代町にある松代城(まつしろじょう)。
戦国時代には海津城、貝津城とも呼ばれていた歴史ある城跡です。春には桜の名所としても知られ、遠くに北アルプスを望む絶景スポット!善光寺のある長野市街地からは少し距離がありますが、長野I.Cのすぐ近くなので車の方は問題なく立ち寄れます。
今回は春の松代城をご紹介しつつ、松代城の歴史や見どころを分かりやすくまとめました!30分くらいあれば楽しめるスポットだと思いますが、予習をしてからいくといっそう理解が深まりますよ。
松代城とは?歴史をサクッと解説
今でこそ観光スポット、桜の名所として親しまれている松代城。戦国時代にはさまざまな戦の拠点となり、武田信玄や織田信長、豊臣秀吉など戦国武将たちによって治められてきました。
もとの城名「海津城」の由来通り、お堀の下には千曲川が通っていました。現在でこそやや離れた位置にありますが、戌の満水(1742)時にはたいへんな被害に遭い、2019年の台風19号でも周辺含め被害が出ています。度重なる火災や水害により、当時の姿を留めているものはほとんどありません。資料や発掘作業によりていねいに復元された松代城をお楽しみください!
武田信玄の時代から領主を変えて生き続けた松代城
松代城の築城時期は不明ですが、山本勘助が武田信玄の命により1559年頃より築城を開始したとされています(武田氏の軍略を記した軍学書『甲陽軍鑑』(こうようぐんかん)より)。近くにある川中島古戦場も訪れておくと、歴史が把握できるかと思います。武田氏滅亡の後は織田家家臣の森 長可(森可成の息子)、豊臣家家臣の田丸 直昌などが城主を務めました。
江戸時代から明治維新頃までは、松代藩藩主の真田氏が藩庁として利用しています。
地名“松代”の由来となった“待城”
もとは「海津城」と呼ばれていましたが、森長可が海津城に居城した際に「待城(まつしろ)」と改められています。武田家の残党によって苦しめられ、復讐の機会を待っていたことが由来だといわれています。
その後、松平忠昌によって不吉な“待城”の字が「松城」に改められました。さらに1711年、真田氏の居城となった松城を幕命により「松代」と改めて現在の姿になったそうです。
松代城への行き方とアクセス
駐車場は「松代城北駐車場」もありますが、最寄りは「殿町無料観光駐車場」です。どちらも無料。
10年ほど前まで松代駅がありましたが、現在は廃駅のため公共交通機関の場合はバスで向かいましょう。
松代城に天守はありません!
さっそく中へ入りましょう!松代城には天守がないため、遠くからはスッキリとして見えます。目の前に見えるのは本丸太鼓門と、太鼓門前橋。
松代城の本丸太鼓門から城跡内部へ
中は平地ですが、公園のように桜の木が植えられているので春はこのように爽やかで美しい景色が広がっています。カメラマンや地元の家族連れなどで毎年賑わっています。所々に看板があり、復元用の資料や発掘作業の様子などが説明されていました。
石垣の上には北アルプスを望む展望スポット!
お城の奥には展望スポットへの階段があるので上ってみましょう。ちょうど石垣の上に立つような形になります。遠くに見える雪をかぶった山々は北アルプス。桜をかぶったような姿を撮影することができます。
二の丸御殿跡は広場に
ぐるっと一周してから垣外に出ると、二の丸御殿跡が広場になっていることに気付きました。城主の兄弟や親族が住んでいた場所のようです。芝生の広場でサッカーやキャッチボールをしている姿を見かけることもあります。土塁の上からの景色もなかなかなので、上って歩いてみるのも良いかもしれません。
松代城まとめ
松代城の歴史と見どころをご紹介しました。周辺には文武学校や真田宝物館など歴史を学べるスポットもたくさん!松代は史跡が多いので歩いて看板を探しながらめぐっても良いかもしれません。
- 参考にした文献(一部):信州の城と古戦場