20世紀最後の冬季五輪 1998年「長野オリンピック」を知ろう!

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2022年現在、北京で冬季オリンピックが開催されていますが今から24年前の1998年、長野県で長野オリンピックが開催されました。

北京オリンピックでも「男子スキージャンプ、長野以来の悲願!」などの言葉で長野オリンピックが触れられていますが、当時のことを知る人は年々少なくなってきています。

そこでこの記事では1998年開催 長野オリンピックの概要、現在でも訪れられる会場となったスポット、金メダルを獲得した選手や印象的なエピソードなどをご紹介します。

長野オリンピックの全体像はつかめるほか、冬季オリンピックの歴史を知ることで現在開催中のオリンピックも倍楽しむことができますよ。

1998年長野オリンピックとは?

長野オリンピックは1998年2月7日~2月22日まで長野県を舞台に開催された冬季オリンピックです。

72の国と地域から約2,300人の選手が参加し、7競技68種目が行われました。期間中は計144万2,700人の観客が集まったといわれています。

長野オリンピックには2つの特徴があります。1つ目は1924年にフランスのシャモニー=モン=ブランで第1回大会が開催された冬季オリンピックの歴史上、20世紀最後に開催されたのが長野オリンピックであること。

2つ目は2022年現在、長野オリンピックは歴代の冬季オリンピック開催地のうち最南で最も低緯度で行われた大会であるということです。海から離れた高い標高と雪の多い気候が低緯度での開催を実現しました。

長野オリンピックが開催されるまでの経緯

長野県は開催決定となるはるか昔から開催国内候補地選定で名前が挙がっていました。しかしなかなか選定されず苦汁をなめてきましたが、1988年のJOC委員会で盛岡市、山形市、旭川市を破り国内候補地となりました。

1991年にバーミンガムで開催された国際オリンピック委員会総会で、計5回の東方を経て最終的にアメリカのソルトレイクシティを破り開催地に選出されました(ソルトレイクシティは長野オリンピックの4年後、2002年に冬季オリンピック開催地となりました)。

なお長野オリンピックを語る際には美化された思い出ばかりがクローズアップされる傾向にありますが、開催までには五輪施設建設に不法滞在の外国人が携わった者の摘発、当初想定していた予算規模を大幅に超えたことによる県議会での厳しい追及、競技会場の建設による自然破壊、多額の地方債発行などが問題となったことも忘れてはいけません。

長野オリンピック会場-現在でも訪れられるスポットを一部紹介-

長野オリンピックの競技会場はホストシティである長野市をメインに白馬村、軽井沢町、山ノ内町、野沢温泉村で開催されました。今日でも長野オリンピックの名残が感じられるスポットを紹介します。

南長野運動公園(長野オリンピックスタジアム)

長野オリンピック

南長野運動公園内にある「長野オリンピックスタジアム」は長野オリンピックの開会式・閉会式の会場として使用されました。現在では信濃グランセローズが公式戦を開催するほか、多数のスポーツの試合が行われています。

エムウェーブ(長野市オリンピック記念アリーナ)

長野オリンピック

今日エムウェーブの愛称で親しまれているアリーナは、正式名称を「長野市オリンピック記念アリーナ」といいます。1998年長野オリンピックのスピードスケート会場にするために日本初の屋内400m標準ダブルトラックスケートリンクとして建設され、その後2002年には世界フィギュアスケート選手権も開催されました。

現在は毎年10月から3月まで一般の人も選手と同じスケートリンクを楽しめます。1周400m・幅15mのオーバルリンクとその内側には30m×60mのアイスホッケーリンクがあり、スケート教室や整氷車乗車体験など各種イベントも開催されています。

セントラルスクゥエア

長野オリンピック
オリンピックを記念したマンホール

長野市中心市街地の中央通り(善光寺表参道)にあるセントラルスクゥエアは、長野オリンピックの表彰式会場として使用された場所です。主に屋外競技・大会後半に日本人選手がメダルを獲得した屋内競技の表彰式会場として多くの選手がこの場所に立ちました。

2012年に一部が表参道長野オリンピックメモリアルパークとして整備され、2020年には残りの部分も都市公園セントラルスクゥエアとして整備されました。今では公園として子どもたちが遊んでいたり、イベントが行われる場所になっています。

現在でも敷地内にはミニ聖火台や表彰台があり、長野オリンピック記念施設としての側面ももっている公園です。

長野オリンピックのキャラクター-スノーレッツ-

長野オリンピック
筆者宅にいるスノーレッツたち(背中に穴があり貯金箱になっている)

オリンピックと言えばかわいいマスコットが印象的ですよね。長野オリンピックのマスコットは4匹のフクロウ「スノーレッツ」でした。

「スノーレッツ(SNOWLETS)」という名称には複数の意味が込められています。冬季オリンピックの「雪(SNOW)」、「さあ、一緒に!」と呼びかける(LET’S)、そして「フクロウの子供たち(OWLETS)」です。

長野県に住んでいる方の中には、いまでもスノーレッツグッズが家にある方もいるのではないでしょうか。

長野オリンピックで金メダルを獲得した選手

長野オリンピックで日本選手団は5つの金メダルを獲得しました。印象的なのは後半で紹介するスキージャンプの選手たちですが、他にも3人の選手が金メダルを獲得しています。以下の表は金メダルを獲得した選手と競技ですが、あなたはいくつ知っていますか?

スキージャンプラージヒル個人船木 和喜
スキージャンプラージヒル団体岡部 孝信、斎藤 浩哉、原田 雅彦、
船木 和喜
スキー・フリースタイル 女子モーグル里谷 多英
スケート・スピードスケート男子500m清水 宏保
スケート・ショートトラック男子500m西谷 岳文

長野オリンピックの印象的なエピソード

長野オリンピックでは今日まで語り継がれる印象的な場面やエピソードが数多く誕生しました。ここでは特に印象的な3つのエピソードを紹介します。

御柱や道祖神も登場した開会式と伊藤みどり氏による聖火点火

オリンピックの最初の目玉と言えば開会式と聖火点火です。開会式は午前11時に善光寺の鐘の音が5万人の観客が入る会場に響き渡って始まりました。はじめに会場を沸かせたのは諏訪の伝統行事御柱を立てるセレモニー。本物の御柱同様に十数メートルの巨木が掛け声とともに立ち上げられました。また長野県大岡村に伝わる大きな神面装飾道祖神も開会式では登場しました。

選手入場が終わるといよいよ聖火点火となります。最終聖火ランナーの鈴木博美氏(元陸上選手)が聖火台への階段を上り、聖火台の最上段に舞台がせりあがって壇上に登場した神話のような服装の伊藤みどり氏(元フィギュアスケート選手)に聖火を渡し点火となりました。この一連の流れは見るものを感動させました。

ジャンプ団体の悲願-岡部・斉藤・原田・舟木 4人のメンバーで挑む-

冬季オリンピックのたびに思い返させ再放送されるのが、スキージャンプ団体の金メダルです。4年前のリレハンメル大会で金メダル目前、原田選手の大失速により銀メダルとなった男子スキージャンプ団体。当時オリンピック後には、原田選手の元に嫌がらせが多数あったといわれています。

そんな悪夢を払しょくするために1998年長野オリンピックではリベンジに燃えていました。1本目、岡部選手が121.5m 、斉藤選手が130mを飛び日本は首位に立ちます。しかし3人目の原田選手が79.5m。リレハンメルの悪夢がよぎる中、4人目の船木選手は118.5mを微日本は4位で1本目を終えました。

2本目に入る前に吹雪が強まり競技が一時中断されることに。中断された場合1本目の成績で順位が決まるため日本は4位となってしまいます。

競技の実行を判断するために25人のテストジャンパーのジャンプで続行するか決めることに。最後25人目のテストジャンパーは前回リレハンメル大会でメンバーでありながら長野オリンピックでは代表から外れた西方選手。悔しさをバネに大ジャンプを見せ、競技は続行することになります。

西方選手は2本目に入る前、原田選手に「次はお前の番だ」と声をかけ、原田選手は西方選手から借りたアンダーウェアで2本目に臨みました。

2本目は岡部選手が137mの大ジャンプ、斉藤選手も124mで続き、3人目の原田選手も137mの大ジャンプ、最後の船木選手も125mのジャンプを決め吹雪の中4年越しの金メダルをチーム一丸となって獲得したのでした。

原田選手は個人ラージヒルでも銅メダルを獲得、舟木選手は個人ラージヒルで金メダルを、個人ノーマルヒルでは銀メダルを獲得。長野オリンピックのジャンプ競技は日本中に感動を与え幕を閉じました。

ボブスレージャマイカチーム

印象的な場面を残したのは日本チームの選手だけではありません。長野オリンピックの4年前、南米の国でありながら1988年のカルガリーオリンピックに出場したジャマイカのボブスレー選手たちを描いた映画実写ディズニー映画「クール・ランニング」が日本を含む世界中でヒットしました。

この映画はジャマイカという国の存在と、当時はあまりなじみのなかったボブスレーという競技を一般に広めた映画です。ディズニー映画で子どもでも楽しめるようにわかりやすく楽しい内容がヒットの要因だといわれています。

ジャマイカ代表の人気は1998年長野オリンピックでもすさまじく、オリンピック前から「あの「クール・ランニング」のジャマイカ代表が日本に来た!」と大きな話題となりました。

実は今回の北京五輪では、なんと24年ぶりにジャマイカ代表が冬季オリンピックのボブスレーに参加しています。開会式でもグリーンのジャケットに蛍光イエローのパンツに身を包んだジャマイカ選手たちが、ダンスステップを踏みながら入場する姿が印象的でしたね。

最後に-長野オリンピックゆかりの地でウィンターアクティビティを楽しもう!-

白馬八方尾根スキー場|白馬村
白馬八方尾根スキー場よりご提供いただきました。

今回は長野オリンピックについて網羅的に紹介してきました。過去のオリンピックをしることで現在のオリンピックもより楽しむことができるので、ぜひ他のオリンピックも調べてみてはいかがでしょうか。

記事で紹介した場所以外にも長野オリンピックゆかりの地は多数あります。特に野沢温泉志賀高原白馬村はスキーの会場として多くの感動的な場面を生み出しました。Skima信州ではこれらエリアを楽しむための記事も多数掲載しているので、ぜひあわせて読んでみてください。

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この記事を書いた人

Skima信州編集部

Skima信州は「信州のスキマを好きで埋める」をキャッチコピーに長野県のニッチな観光スポットや情報をお届けするローカルWEBメディアです。