大平街道の大平宿の歴史とあゆみを分かりやすく解説!長野県飯田市

飯田市大平宿

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飯田市街地と南木曽町の妻籠宿を結ぶ大平街道にかつてあった宿場町「大平(おおだいら)宿」。

昭和45年に集団移住して廃村となり、現在は「大平宿をのこす会」によって保存・管理されています(会は平成29年の解散し、南信州観光公社が窓口となっているそうです)。電気や水道も通っているため、宿泊することもできますよ。

今回はそんな大平宿を歩いてきました。飯田市街地からは車で約1時間、冬季は閉鎖しているのでご注意ください。

飯田市側には松川ダム

飯田市松川ダム

飯田市から向かうと道中に松川ダムがあります。ダムカードを集めているので立ち寄りました。松川町にある片桐ダムのカードもいただけます。

飯田市松川ダム

飯田峠を超える

飯田市飯田峠

クネクネとした山道をひたすら上り、飯田峠を超えます。路傍には定期的に石仏が置かれていました。標高は1,235m。大平街道には飯田峠と大平峠(木曽峠)、2つの峠を超える必要があります。鎌倉時代後期にはすでに峠道があったようですが、整備されてはいませんでした。

大平街道「大平宿」とは?

飯田市大平宿

大平宿は江戸時代中期に飯田藩によって整備された街道です。中山道の妻籠宿(南木曽町)と飯田市街地(伊那谷)を結んでいます。

大平宿は大平街道の開通に伴い開墾され、明治時代に入ると学校や郵便局などもできました。最盛期には70戸以上あり栄えていたそうです。しかし飯田線(当時の伊那電鉄)の開通や林業(炭焼き)の需要低下によって昭和35年には全盛期の半数近い38戸まで落ち込みました。

大平宿を歩いてみよう

宿場

飯田市大平宿

さっそく大平宿を歩いてみましょう。訪れたのは12月初旬、冬季閉鎖間近で芯から冷えるような寒さを感じました。脇には江戸時代後期に飯田藩によって建設された水路が流れています。家屋にはそれぞれ屋号や建築様式、建築年代を表記した看板が立てられていました。江戸時代から明治時代のものばかりです。

飯田市大平宿
飯田市大平宿

集落の端には石造物が並んでいました。ちなみにわたしのスマホではこの辺り一帯圏外でしたので、何かあったときは公衆電話を使うしかなさそうです。強制的にデジタルデトックスのできる場所、日本ではもう少なくなってきていますよね。

飯田市大平宿

旧大平小学校

飯田市大平宿

宿場からやや外れて上方には旧大平小学校。1873(明治6)年に大平第三番小学正道学校として開校し、多いときには90名以上の生徒が在籍していました。

いろりの里「大平宿」宿泊体験も可能!予約方法はこちら

飯田市大平宿

大平宿は「建物を保存する」観点から宿泊体験が可能になっています。囲炉裏を使うことで湿気から建物を守り、建物の保存に一役買えるのだとか。大平宿をのこす会公式HPによると「薪で起こした火を囲炉裏で直接使う」ことができるのは日本で唯一こちらだけ、だそうです。

▼プログラム詳細

●実施期間/4月末~11月中旬
●所要時間:1泊2日~6泊7日
●対象とする人:個人2人~
●1回の受け入れ実施可能人数:2人~200人

▼予約方法はこんな感じ

●事前に承認事項を確認頂き、申込用紙をご記入後、
南信州観光公社に郵送頂きます。(窓口でも受付可)

●事前に保存協力費のお支払 振込or窓口(当日は不可)

●南信州観光公社にて鍵及び薪等の受け渡し(10分)

●南信州観光公社→大平宿(50分)

●大平宿にて自炊及び宿泊 (退居時は午前11時までに)

●大平宿→南信州観光公社(50分)

●南信州観光公社にて鍵の返却及びチェックシートの提出(10分)

少々ややこしいですね。詳細は南信州観光公社のHPをご覧ください!

大平街道と大平宿 まとめ

大平街道と大平宿について簡単にご説明しました。宿場好きの方はもちろん、撮影に利用する方や昔の生活を体験したい方など幅広いニーズのある場所だと思います。ちなみに長野県内の街道や宿場は宿場・街道タグにまとめているのでお好きな方はチェックしてみてくださいね。

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この記事を書いた人

信州さーもん

スキマな観光ライター。長野県内外、国外を旅します。長野県観光WEBメディア「Skima信州(http://skima-shinshu.com )」代表。道祖神宿場街道滝ダムため池棚田神社仏閣好きな平成生まれの魚。浅い知識を浅いままに増やしています。企画・アイディアを出すのが得意。たぶん。