佐久間象山は幕末の大先駆者として知られる人物です。そんな佐久間象山は長野県松代の出身。松代には現在でも数多くの佐久間象山ゆかりのスポットが残っています。
そこで今回は松代にある佐久間象山ゆかりの地をめぐる観光プランをご紹介!歩いて2時間程度でめぐれるプランなので、ぜひ近隣の方も観光で訪れた方も参考にしてみてください。
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象山神社-象山をまつる神社-

まず初めに訪れたのは、佐久間象山をまつり、全国の教育関係者の尽力で(1938年に創建された象山神社です。
敷地内には総桧材桃山式流造の本殿のほか、のちほど紹介する高義亭、京都から移築した茶室・煙雨亭、象山宅跡、生誕の碑、生誕200年を記念して建立されたブロンズ像などがありました。
この日は食べられませんでしたが、境内の授与所では「ちえもち」というお菓子が購入できます。「ちえもち」は一口サイズの餡を、もち粉の餅で包み砂糖をまぶしたお菓子。これを食べると象山の知恵にあやかれるとのことです。
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高義亭-象山が議論を交わした建物-

ここからは象山神社の敷地内にある見どころをご紹介していきます。高義亭は松代藩主家老望月主水貫恕の下屋敷にあった建物です。
1854年、佐久間象山は吉田松陰の渡航事件に連座し、望月氏の屋敷聚遠楼に住んでいましたが、来客があると高義亭2階の7畳半の間で応対し議論したと言われています。
明治以後住人が替わり原形を変更した部分もありましたが、現在のものはこの場所に移築する際に当時の構造に復元したものとのこと。象山神社内でひときわ存在感がある建物でした。
望岳賦-象山の名作が碑となっている-

望岳賦は1841年夏、象山31歳の時の作品といわれており桜賦と並び称される名作を碑にしたもの。
富士山の気高く優美な姿を讃えて、自分の理想と抱負をこれに寄せた韻文です。
象山先生誕生地入口

象山神社の入り口に「象山先生誕生地入口」の看板が見えたのが、小路を進んでみることに。

小路を抜けると、佐久間象山の生家跡に着きました。佐久間家は下級武士でしたが、この敷地は広く母屋のほか槍・剣術道場、学問所、硝石製造土置き場などがあったといわれています。
現在では敷地内には石碑や看板があるだけですが、塀で囲まれた空間を見ながら想像力豊かに象山が暮らした時代を感じてみてはどうでしょうか。
煙雨亭-象山が京都で約2か月暮らした茶室-

佐久間象山の生家跡の一角にあるのが、佐久間象山ゆかりの建物 煙雨亭です。
煙雨亭は1864年に自宅での謹慎が解かれた象山が京にのぼり、約2ヶ月間住んだ京都木屋町の茶室を移築・修景したものです。この建物から象山は京都の東山や八坂の塔を望んだことでしょう。
真田宝物館-真田ファン必見の資料館-

象残神社をあとにして真田宝物館に来ました。
真田宝物館は旧松代藩主真田家から寄贈された家宝の武具、調度品、文書、美術品などを所蔵する資料館。真田ファンなら必ず訪れたいですね。
重要文化財の「青江の大太刀」、豊臣秀吉・石田三成・徳川家康・武田信玄らの書状など、大名家ならではの興味深い史料や佐久間象山に関連する品々が数多く展示されているのが特徴です。
数カ月おきに行われる企画展も興味深いものが多く、今回は「松代藩士の刀剣」企画を行っていました。
松代藩文武学校-現在唯一残る藩校-

旧松代藩文武学校は八代藩主幸貫が佐久間象山を筆頭に、当時の進んだ意見を取り入れ文武研鑽の場として建設をすすめ、九代幸教のときに開校しました。
以降明治の廃藩閉鎖になるまで多くの人材を輩出しており、現在でも松代小学校として地元の子どもたちが通っています。全国で約250あった藩校のうち、創建時の敷地や建物が現存するのは同校のみと貴重な建物です。
2020年10月に工事が終わり、リニューアルオープン!柔術所では『スペンサー銃』『火縄銃』『臼砲』の3種類が体験できるバーチャル砲術体験ができるようになりました。
象山記念館-佐久間象山ゆかりの品がたくさん-

佐久間象山の遺品・遺墨を展示している象山記念館へ!館内には佐久間象山の肖像や自作のカメラで撮影したといわれる写真、同じく自作したといわれる電気治療器、自筆の書などがあります。
象残神社や真田邸、真田宝物館と比べると、少しわかりにくい場所にありましたが無事にたどり着けました。松代は歩いて巡るのが個人的におすすめですが、象残記念館は駐車場が7台分あったので車で行く人も安心ですね。
恵明寺-象山の号の由来になったといわれる寺-

象山記念館から松代象山地下壕方面に歩く途中で立ち寄ったのが、象山 恵明禅寺です。
三代藩主真田幸道が造営した寺で、2人の人物にゆかりがあることで知られています。
1人目は敷地内に墓所がある豊姫(あんず姫)。あんず姫は15歳で幸道に嫁ぎました。豊姫が実家より「鉢植えのあんず」を持参したのが善光寺平に「あんずの樹」が来た始めだといわれており、現在も三代目にあたる「あんずの樹」が境内にあります。
2人目は佐久間象山です。佐久間象山の号はこの寺にちなんだと言われています。
旧松代藩鐘楼-象山が実験をしたといわれる鐘楼-

旧松代藩鐘楼は松代藩初代藩主真田信之が松代に来た直後に建てられたとされる建造物です。写真だとあまり伝わらないですが、結構大きかったです。
当初は火の見櫓の役割を兼ねていたほか、昼夜の区別なく2時間ごとに時刻を知らせたり、城下で出火があった際にも鐘をついて非常を知らせたりするのに使われていました。
過去3度の火災に見舞われていて、現在の鐘楼は享和元(1801)年に鐘楼と火の見櫓を別棟にした際に造営されたものとのこと。
鐘は太平洋戦争時に鉄が不足したため供出されましたが、平成3年に旧鐘の寸法や重さを模して付けられました。
佐久間象山がこの鐘楼で電信実験をしたという言い伝えも残っており、実は象山ゆかりの地です。
蓮乗寺・佐久間象山の墓

最初に象山神社で象山生誕の地を見てきたので、ゆかりの地めぐりの最後に佐久間象山のお墓がある蓮乗寺を訪れました。

蓮乗寺の入り口には「佐久間象山先生墓提所」の碑が。

蓮乗寺は佐久間家累代の菩提寺でした。1922年、京都妙心寺よりこの菩提寺へ分葬されました。象山の墓のほかに、猶父一学並に一子恪二郎等の墓もあります。
最後に-松代は他にも観光スポットがたくさん!-

今回は佐久間象山ゆかりの地めぐりをしてきました。細々としたゆかりの地は他にもあるので、訪れ時間がある方は今回載せていないゆかりの地もめぐってみてください。
長野市松代には他にも観光スポットが多数あります。松代観光については以下の記事で詳しく紹介しているので、ぜひあわせて読んでみてください!