近くへ来るとつい立ち寄ってしまう神社やお寺があります。
何か目的があるわけではないので車を降りたあとはひとまず写真を撮ってみたり、看板を読み返してみたり、ただぼうっと社寺から見える景色を眺めたりして満足を得ます。
今回はそんな風に立ち寄る神社のひとつ、小川村の延喜式内社「小川神社」を参拝したときのこと。神社の反対側に向かって「戸隠神社信仰遺跡」の看板が立っていることに気がつきました。戸隠神社といえば2,000年の歴史を持つといわれる長野県屈指の古社。
現在は長野市戸隠にあり、宝光社(ほうこうしゃ)、火之御子社(ひのみこしゃ)、中社(ちゅうしゃ)、奥社(おくしゃ)、九頭龍社(くずりゅうしゃ)の五社からなっています。
「よし、行ってみよう」と思いついたので、さっそく看板を頼りに小川神社から南側の山道に入り、集落を横目に車を登らせます。どうやら遺跡は集落の奥に点在しているらしく、まずは「奥の院」跡に辿り着きました。
戸隠神社信仰遺跡 奥の院
武田信玄と上杉謙信が領地を争っていた時代、その難を逃れるために戸隠三院(奥社・中社・宝光院)をそっくりそのまま移したのだとか。
敵に見つからないように隠された信仰。
小さな階段を上ると、道標がなければ方向すら分からなくなるほど深い森山に入ります。確かにこれは隠しているなあ。10分ほど歩くと、辺りがひらけて空が見えてきました。
狭い平地の奥に小さな祠がひとつ。さらに北側にひらけた景色を見て思わず声があがります。戸隠連峰に一夜山、遠くには黒姫山まで、まるで1枚の絵画におさまったような景色。奥の院跡から山脈が見えるよう、視界を妨げる木々をきれいに伐採してあるようでした。参拝者への心遣いに感謝しつつ、森におおわれひっそりと灯され続けた信仰の形に想いを馳せます。
慰霊碑戸隠万人塚と中院
奥の院からさらに車を走らせると、戸隠開山400年を記念して建立されたという「慰霊碑戸隠万人塚」の横に「中院」への看板が見えました。
うっすら積もった雪に人間の足跡はひとつもなく、代わりに狸か狐か、小さな動物らしき足跡がいくつも残っています。10分ほど歩いた先にある中院跡には、おそらく樹齢500年ほどの「三本杉」が立ち並びます。
戸隠三院は領地が安定するまで約30年もの間、この地に隠れて再び故郷に帰れる日を待ち望んでいました。戸隠山とは相対する位置にあり、奥の院からはほぼ真正面に望みます。よく見れば一夜山や高妻山、遠くには黒姫山まで顔を出していました。予想外の絶景に心を奪われます。視界を妨げないように周りの木々はきれいに伐採されていました。参拝客への心遣いに感謝しつつ、森に隠れながらもひっそりと灯され続けた信仰の面影に想いを馳せます。
戸隠神社信仰遺跡 宝光院
宝光院は樹齢350年の「立屋の桜」から歩いて15分ほど。
いつもは桜めぐりで訪れていましたが、奥にある宝光院までは足を運んだことがありませんでした。看板に導かれるまま奥へ奥へと進んでいくと、尾根道に続いていました。
尾根がひらけた場所にまた小さな祠。
「中院」を経由して「宝光院」まで足を伸ばした頃には16時手前、陽はすっかり傾いて北アルプスの山陰も濃くなってきました。冬至真近です。