「軽井沢」が別荘地になった理由は?避暑地軽井沢ブランドへの歩み

万平ホテル 軽井沢町

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軽井沢は、甲信越地方の長野県にあります。東側は群馬県に位置しており、東京からは新幹線で60分の好立地!市町村でいうと軽井沢町に当たりますが、隣接する群馬県嬬恋村には奥軽井沢、長野県御代田町には西軽井沢と呼ばれる場所もあります。

江戸時代の宿場町として栄えた軽井沢

軽井沢の追分宿
追分宿の秋

江戸時代には、江戸と京都を結ぶ街道「中山道」の宿場町があった軽井沢。旧軽井沢にあった軽井沢宿、中軽井沢駅前にあった沓掛宿、信濃追分駅より北西にある追分宿の3つで浅間3宿と呼ばれています。中でも追分宿は鉄道が開通する明治17年までは特に栄えていました。

軽井沢は碓氷峠越えの要地にあったことから江戸時代を通して栄えました。記録によれば1855年には、本陣と脇本陣4軒と旅龍20軒を含めて約80軒の家並みが存在しました。

幕末になると参勤交代が廃止となり、1884年にはに碓氷新道が開通したため軽井沢宿への客足は遠のいていきます。

さらに軽井沢は浅間山の火山性堆積物により土地が痩せていたため、高冷地の気候であることも災いして農業で生計を立てることも難しく、軽井沢の住民は困窮を極めることとなります。

そこで1882年頃から草原で牧場や混合農業が試みられるようになり、のちにこのことが避暑客に新鮮な牛乳や西洋野菜を供給する土台をつくることとなりました。

カナダ人英国国協会宣教師A.C.ショーが建てた別荘がきっかけ

軽井沢高原美術館 軽井沢町

軽井沢が避暑地に適していることを見出したのはカナダ生まれの英国国協会宣教師A.C.ショーと東京帝国大学文科大学教授J.ディクソンでした。彼らは1886年に軽井沢に立ち寄りそのポテンシャルに目を付けます。

1886年、ショーは使われなくなった旅寵を買い取り軽井沢宿の東のほうに移築して別荘にしました。ただ、この別荘は中山道に面していたため善光寺に向かう人に宿とよく間違えられていました。

そこでショーは使われなくなった旅寵を再び買い取り、大塚山の上に移築します。この一連のショーの取り組みをキッカケに、軽井沢では外国人が避暑地として滞在したり別荘を所有したりするようになります。

1889年の夏には100名ほどの外国人が旅寵などに避暑滞在していた記録も残っています。

ちなみに外国人が宿場町の旅寵を買い取り別荘にした点は東海道の箱根宿と似ています。箱根宿も1860年代末から外国人が避暑に訪れていました。

こうしてみると今日、別荘地として知られる軽井沢と箱根には避暑地/別荘地として100年以上の歴史があることがわかりますね。

1900年代に入ると別荘の数はさらに増加し、1906年には102軒、1910年には貸別荘を含めると178軒まで増加しました。しかしこの頃はまだ外国人が主な別荘所有者で日本人には別荘所有や高原での避暑慣習はありませんでした。

軽井沢で初めて別荘を所有した日本人は海軍将校の八田裕二郎だといわれています。越前藩土だった八田は1867年から12年間イギリスに留学しますがノイローゼになってしまいます。そんな八田は1890年頃に軽井沢を訪れたとき外国人に療養を勧められ、1893年に軽井沢宿の南西端に別荘を建てました。

これを皮切りに主に官僚や留学経験者を中心に日本人による別荘所有が行われ始めます。

日本人による別荘所有は1910年代に本格化し始め、外国人別荘が日本人によって取得されるようになります。この時期に別荘買ったのは主に資本家、財閥でした。こうした流れはさらに加速し1940年代頃になると日本人が多数の割合を占めるようになり、今日の軽井沢の様相に近づくこととなりました。

ちなみにこうした日本人の増加や過度な開発の促進は外国人宣教師を疲弊させ、外国人宣教師の一部は1920年頃に野尻湖畔に別荘地を開発し集団で移り住んだという記録が残っています。

最後に-軽井沢には歴史ある建築物が多数現存しています!-

旧三笠ホテル 軽井沢町

以上のような歴史をもつ軽井沢には、明治時代に建てられた西洋風の建築物がたくさんあります。

国の重要文化財に指定されている「旧三笠ホテル」、三島由紀夫やジョン・レノンが滞在したことで知られる「万平ホテル アルプス館」、元内閣総理大臣近衛文麿の別荘「旧近衛文麿別荘(市村記念館)」、軽井沢別荘建築士の最高傑作と名高い「睡鳩荘(旧朝吹山荘)」、ミントグリーンが印象的な「明治四十四年館(旧・軽井沢郵便局舎)」などがその代表例。

上記の建築物は見学や宿泊が可能です。ぜひ往時の面影を楽しんでくださいね。

参考資料
Shaw, R.M.D, 1959, Karuizawa and ArchdeaconShaw.Japan Missions: An Anglican Missionary Quarterly.
軽井沢町誌刊行委員会, 1988, 軽井沢町誌歴史編(近・現代編), 信毎書籍印刷.
斎藤功, 1994, わが国最初の高原避暑地宮ノ下と箱根-明治期を中心に-, 人文地理学研究18.
佐藤孝一, 1987, かるゐざわ, 国書刊行会.
佐藤大祐・齋藤功, 2004, 明治・大正期の軽井沢における高原避暑地の形成と別荘所有者の変遷, 歴史地理学.
安島博幸・十代田朗, 1991, 日本別荘史ノート, 住まいの図書館出版局.

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この記事を書いた人

Skima信州編集部

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