犠牲者1500名超え・・史上最大級の災害「浅間山の大噴火(天明の浅間焼け)」とは?

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長野県と群馬県にまたがる「浅間山(あさまやま)」。

大きく裾野を広げる雄大な姿は長い歴史の中で人々を魅了し、信仰の山としても知られます。

また浅間山は今なお活動を続ける活火山。過去には大規模な噴火により甚大な被害をもたらしたこともあります。

そんな浅間山で史上最大級の噴火だといわれているのが1783(天明3)年に起こった「浅間山の大噴火」。天明の浅間焼けとも呼ばれています。村を丸ごと飲み込むなどして死者は1500名以上に及びました。

今回はそんな「浅間山の大噴火(天明の浅間焼け)」について詳しくご紹介します。

浅間山(あさまやま)とは?

小諸市黒斑山登山

浅間山は長野県(軽井沢町、御代田町、小諸市)と群馬県(嬬恋村)にまたがる活火山です。

標高は2542メートル。

「浅間(あさま)」の呼び方は古来よりほぼ変わりありません。まれに「朝間」や「麻間」の記載も見られました。

浅間神社などにみられる音読みの「せんげん」は中世以降から用いられたとされています。

▼浅間山を間近に見られる黒斑山登山の様子はこちら!

1783(天明3)年に起こった「浅間山大噴火」

浅間縄文ミュージアム|御代田町
浅間縄文ミュージアムにて

「浅間は殊に活火山」と長野県歌に詠われる通り活火山で、度々大きな噴火を起こしています。中でも史上最大級といわれるのは、1783(天明3)年に起こった「浅間山大噴火(天明の浅間焼け)」。

編集長

その前は平安末期(1108年)にも「天仁元年の大噴火」が起こっているよ!

1783年5月9日より浅間山の活動が活発化

最初に浅間山の鳴動が起こったのは1783(天明3)年の5月9日(旧暦4月9日)。

その後噴火と小康状態を繰り返していましたが、8月4日の夕方から未明にかけての噴火により吾妻火砕流が発生し、軽井沢では軽石の直撃により1(もしくは2名)が亡くなっています。

8月5日に大爆発!

8月5日の朝方にはわずかに収まったものの、午前10時頃に今までで一番大きな噴火が起こります。火砕流は今まで噴火していた蓄積物とともに一気に流れ下り、山麓の村々を襲います。

死者477名!甚大な被害を受けた鎌原村

浅間山の大噴火により発生した火砕流や土石なだれにより特に被害を受けたのが鎌原村(現群馬県嬬恋村)。村が丸ごと飲み込まれ、人口570名のうち死者477名(466名と書かれたものも)という大惨事となりました。

溶岩によって形成された「鬼押出し」

軽井沢 鬼押出園

浅間山から北に4キロほどの場所にある「鬼押出し」はこの噴火によって流出した溶岩で形成されており、溶岩が押し流されていく様子を見た当時の村人たちが「まるで鬼が暴れて押し出したようだ」と表現したことから名付けられたそうです。

▼鬼押出し園の詳細はこちらの記事をチェック!

浅間縄文ミュージアムに詳しい様子も

御代田町の浅間縄文ミュージアム2階には常設展示「浅間山の自然」があり、噴火の様子を詳しく学ぶことができます。

興味のある方はぜひ足を運んでみてくださいね。

浅間縄文ミュージアム|御代田町
浅間縄文ミュージアム|御代田町

浅間山「天明の大噴火」 まとめ

浅間縄文ミュージアム|御代田町

江戸後期に起こった「浅間山の大噴火」についてご紹介しました。

もし今起こったらと思うとゾッとするような大噴火の記憶を忘れずに、日々の防災にも気を配っていきたいと思います。

※ 参考書籍:日本歴史地名大系 第20巻 長野県の地名

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この記事を書いた人

信州さーもん

スキマな観光ライター。長野県内外、国外を旅します。長野県観光WEBメディア「Skima信州(http://skima-shinshu.com )」代表。道祖神宿場街道滝ダムため池棚田神社仏閣好きな平成生まれの魚。浅い知識を浅いままに増やしています。企画・アイディアを出すのが得意。たぶん。