コナンでも長野県はよく舞台になっていて、登場回数は約6回。群馬県との境あたりで起こる事件もありました。その中でもガッツリ長野県が登場する回があります。
コナン86巻〜87巻。川中島殺人事件、です。表紙にもガッツリ使われています。これはめぐるしかない!※今回川中島殺人事件モデル地めぐりのため、名探偵コナン第86巻の画像を一部引用しています(引用元:少年サンデーコミックス「名探偵コナン(86)」。
ってことで聖地めぐりして来ました。車があれば2,3時間でめぐれるコースなのでよければ皆さんもトライしてみてくださいね!
名探偵コナン「川中島殺人事件」とは?
長野県へ観光にやって来たコナンくんたちが川中島合戦と山本勘助ゆかりの地をめぐっていると、千曲川に流れる生首を発見!容疑者になってしまった大和勘助警部とともに、事件を解決するお話です。
まずはご存知、川中島古戦場 八幡社へ
皆さんご存知、とか言ってじわじわ「定番スポット」扱いするのがわたしの作戦。八幡社には桜めぐりとかごしゅメモで何度か訪れています。
春は桜もきれい!八幡社のある八幡原史跡公園は、地元民のお花見スポットとしても人気のスポットです。
神社と御朱印の情報はごしゅメモもご参照ください!
ここから始まるコナンの旅
八幡原史跡公園の駐車場から入って左手奥にある八幡社。
はい、そのまま。後ろの安在所(屋根付きの休憩所)まで一致しています。
このアングルからも・・・
バッチリ一致。なんか嬉しい。
奥に見えているのは旧社殿、鞘堂です。
社殿も細部まで描写されている
八幡社の現社殿もさりげなく描写されていました。
写真か?ってくらいそのまま。ちなみにこの社殿、元は生島足島神社に鎮座していたものを八幡社が譲り受けました。
史跡めぐりマップがあった。これはつかえる
八幡社の境内にあった史跡マップ。
おっ行きたいところが載っている。これは使えますね!
八幡社を出て、いざコナン旅!八幡社を出て長野インター方面に歩きます。
ちょっとヨリミチ。「敵に塩を送る」の由来はここ「首塚」!
八幡社を出てすぐ、史跡公園の南側になにやらあやしげな丘を発見。
上ってみると、首塚がありました。
武田勢は6,000人以上にのぼる戦死者を敵味方問わずここに手厚く弔いました。これに感動した上杉謙信はこの恩に報いるため、塩不足に悩む武田氏へ塩を送ったのだとか。「敵に塩を送る」とはこのエピソードから生まれた言葉です。
他にもいくつか丘が見えるけど、この辺一帯が首塚になっているのかな?
胴合橋は意外なところにあった。ちょっと探した
八幡原史跡公園から徒歩7分ほどの場所にある信州そば蔵長野店(※現在すでに閉店しています)。この辺にあるらしい「胴合(どあい)橋」を探します。
マンガでは「胴合(どうあい)橋」になっていました。
うろうろしていると、そば蔵入口手前に看板を発見。日替わりランチの奥!
胴合橋は、戦死した山本勘助の首と胴を家来が合わせたとされる場所。
ん、どこ?
ああ、ありました(笑)看板がなければ史跡だと気づかない!
でも、由衣刑事も渡っている〜!
山本勘助の鎮魂碑も発見しました。
ちなみに胴合橋の手前、ガラス張りになったレストランがあります。写真を撮っている最中、ランチ中の方々からの視線が痛かった。
まだまだ行くよ!いよいよ殺人現場(二次元)へ
さあ、そんな由衣刑事の「山本勘助めぐり」も終盤。コナン一行は千曲川を見に、この先の松代大橋へ!
このあたりは、赤川と呼ばれています。ちょっとこの名前覚えておいてください!(歴史詳しい方はご存知かと思いますが!)
千曲川!長野インターの近くです。
ところでコナン片手に冬の長野県をうろうろしていたら、手が真っ赤っかに。しかし目的を果たすまでは帰れません。
目的地はここ。
街灯や橋の模様までしっかり一致。背景には松代ロイヤルホテルも映っているような、いないような。
しかしこの辺、歩くと結構かかります。コナン君たち、由衣刑事にかなり連れまわされたと見えます。
ここからの景色は、とても長野感がある。
蘭ちゃん「わぁきれいな川ー!!」
ちょうど、この辺かな。
「川中島殺人事件」で死体が発見されたのは・・・。
ちょっと描写が違いますが、同じアングルから。死体を発見した一行は、死体を引き上げて警察を呼びます。まあ、長野県警の刑事さんたちと一緒にいたんですけどね!
実際はもう少し陸が続いて、真ん中に水が流れています。
降りてみると、小さな舟を発見!な、なんか良い。橋の下に舟が隠されていたなんて。
舟の中にあったこれは、なんだろう。鵜飼?それともかご網?
もういっちょ!六文銭の入ったここ、名前が入っている部分(名称不明)。
パトカーが停まっています。松代方面から来たようですが、ここに停めるとおそらく橋は片側封鎖された感じになります。もう少し路肩に停めましょう!
犯人のトリックをいち早く見抜いたコナンくん。
首が落ちたのはこの辺のようです。
全体像はこんな感じ。写真のようにぴったり一致する場所と、そうでない部分がありました。
名前だけ登場した赤川神社跡にも行ってみた
「骨をつみしほ流ししもののふの…おもかげうかぶ赤川の水…」
大和警部の幼なじみでライバルの諸伏高明警部が言います。
川中島の合戦は死者8千人余りと言われる壮絶な戦で、これは浅井洌氏が神社の前を流れる川が討ち死にした兵の血で二日三晩赤く染まった言い伝えを鎮魂を込めて詠んだ詞。
浅井洌氏は、長野県歌『信濃の国』の作詞者でもあります。
その合戦以来、その川を赤川、その神社を赤川神社と呼ぶようになったそうですよ!
赤川と言えば、先ほどそんな名前の信号がありました。そしてその手前にある細い小道を入ると、赤川神社跡があります。
こちらが赤川神社跡。今は歌碑と御由緒の石碑があります。近くには千曲川の支流となる小さな川が流れていました。
石碑には赤川神社の由緒と歌碑の由来が書かれていました。
赤川神社の創建は、718年。もともと諏訪大社と同じく建御名方を御祭神としていました。
残された木々が神社の格と歴史を物語っています。
山本勘助のお墓も登場!大和勘助警部ゆかり(?)の地
山本勘助と言えば、コナンでは「大和勘助」警部のモデルとしてもおなじみ。作中でもよくいじられています。
コナンくんたちも大和警部たちとともに訪れていました。
先ほどいた赤川周辺とは少し離れているので車で移動します。山本勘助の墓は、廃駅になった金井山駅の近く、更埴橋の見える河川敷にありました。
駐車場などなくどうしようか考えていると、お墓の隣で畑を耕していたおじいさんがご厚意で駐車させてくれました。やはりファンは多いのか、対応も慣れた様子。
自転車は、おじいさんのものかな?
お墓は、信州柴阿弥陀堂跡にありました。
けっこう細かく但し書きがあります。
お隣で畑仕事中のおじいさんに聞いてみたところ、撮影も掲載もオッケーをいただきました。
とは言えなんとなくお墓を撮るのは気が引けたのでコナンから引用。だいたいそのままでした。
違う点といえば、下にお手製のお賽銭箱があったくらいかな。
横には立派な看板もありました。
さらにおじいさん「ガイド資料もあるから持って行って!」と。ありがたく頂戴しました。
ラストはちょろっと登場した勘助宮。南長野運動公園にあるよ
最後にやってきたのは山本勘助が討ち死にしたと言われている「勘助宮」。ここも離れているので車で移動しました。
長野市民にはおなじみ?の南長野運動公園、南西の一角にありました。
どうやら討ち死にしたと言われているのはここよりさらに北東約100mほどにあるようです。
建御名方を奉る諏訪社で戦死したことから、地元の者たちが「勘助宮」と呼ぶようになりました。その後東福寺神社と合祀され、勘助宮跡地は東福寺小学校と中学校の校庭として使用されることになったとのこと。
まとめ:あなたのコナンはどこから?
誰しも「名探偵コナンに出会う瞬間」があります。あなたの「ファーストコナン」はどこから?まだ知らない方は、今日がその日かもしれません。
ところで「川中島殺人事件」のラストはこんなオチ。
信州蕎麦食うの忘れてた!
ってことで私はしっかり食べてきました。
川中島古戦場、八幡原史跡公園内にある「手打ち蕎麦処 横綱」。
信州で史跡めぐりをしたら、信州蕎麦も忘れずに!
長野県のお蕎麦について、こんな記事も書いています。