水と町家をめぐる信州・大町宿「塩の道ちょうじや」

宿場町めぐりで大町宿のある信濃大町駅周辺を訪れました。

大町宿は、松本と糸魚川を結ぶ千国街道(塩の道)の宿場町(間宿)です。信濃大町駅の東側を通り、駅前で綺麗な枡形を描いて北上しています。千国街道は松本へ塩や海産物を運ぶ商人たちの道。大町宿にはそんな往年の様子が伺える塩問屋の旧平林家が博物館「塩の道ちょうじや」として現存しています。

さらに古は仁科氏の本拠が置かれ、城下町としても栄えた歴史があります。

千国街道マップ

詳しくはこっそり作っているスキマ街道をご覧ください。

高校生や子連れのお母さんなど、若い方もよく行き交う信濃大町駅周辺。歴史を知って歩いてみると、いつもとは少し違った楽しみ方ができるかもしれません。

大町宿の歴史はもちろん、昭和〜平成のノスタルジーを感じる信濃大町駅周辺を歩いてみませんか?

信濃大町駅周辺を歩こう

信濃大町駅から千国街道を歩くと、メインストリート・仲町商店街へ。

大町には城下町らしい「仲町」「上仲町」「六九町」などの他に「六日町」「十日町」「五日町」といった日にちを表す地名が存在します。これは鎌倉時代初期にこの地を治め、町造りをした仁科氏のアイディア。日毎に定期市・三斎市(決まった日に開かれる市)を行う場所を替えていたことから、そのまま地名として定着したようです。

京都にゆかりをもつ仁科氏は、碁盤の目に沿った京風の町並みを再現しました。また「高瀬川」「小倉」「木舟」など、京名も名残ります。

大町の地名は面白いですね。もう少し深掘りしたいところですが、資料も少ないのでまた調べがついたら別記事にするかもしれません。

「男清水」「女清水」とは?道を隔てて2つの湧水

大町宿には、道を挟むと全く異なる水が湧いています。飲料水にも使われており、それぞれ「男清水」「女清水」と呼ばれています。名前の由来は、硬水と軟水の違いだそうです。信濃大町駅周辺に何箇所か湧いており、周辺の水道水からも出ます。

それにしても道を挟むだけで全く別の湧き水があり、それが水道水として使われているなんて。大町すごい。一体どの辺りまで水道水として利用されているのでしょうか。

男清水…北アルプス北白沢の湧き水。

女清水…標高900m、北大町の里山・居谷里(いやり)の湧き水。

大町宿の歴史を知る「塩の道ちょうじや」

まずは大町宿の歴史を知ろうと、塩の道ちょうじやさんにやってきました。塩問屋と麻問屋を営んでいた豪商・平林家の旧宅をそのまま博物館として利用しています。明治22年の大火で一度焼失したため、建物自体は翌年の明治23年に再建されたものです。

中にはカフェと流鏑馬会館も併設されており、雨の日でも長い時間楽しめるオススメスポット。

町家らしい、間口が狭く長い土間は「うなぎの寝床」と呼ばれます。

たか〜い天井と、掘りごたつ式の囲炉裏も特徴的でした。草鞋(わらじ)などを履いたまま囲炉裏で温まれるように工夫されています。

当時の生活用品などが展示

帳場。

平林家は戦国時代以前から旧大町村の町方支配を担っていた10軒の有力者、俗にいう「大町十人衆」のひとつだったそうです。なんだか格好いい。

糸魚川から運ばれてきた荷の一部をほどき、小売りや店売りに回していました。味噌や醤油など、加工も行なっていたとのこと。

今も宿場町として名を残す池田、穂高、成相(豊科)などは「在郷町(ざいごうまち)」と呼ばれ、同じ仕組みでそれぞれ小都市を形成していたのです。

千国街道は北国街道や中山道などと違い、善光寺や諏訪大社などに通じる参拝道ではありません。そのため現存する宿場町や歴史も少なく感じますが、こうした商人たちの工夫や流通の歴史を鑑みるのも楽しみ方のひとつです。

牛方の様子。
歩荷(ぼっか)の様子。

千国街道の様子。双体道祖神と木陰で休む歩荷がかわいい。

文庫蔵や漬物蔵では明治・大正時代の道具展

展示スペースから売店・喫茶を通り、流鏑馬会館へ向かいます。喫茶へ寄って行かれる場合は、あらかじめ注文しておくとスムーズですよ。

昔は文庫蔵、漬物蔵、塩蔵として使用されていた場所も展示スペースに。廊下はロケーションフォトにも使えそうな趣がありました。

砂岩らしき双体道祖神も3基発見。近くにあったものを移動してきたのでしょうか。テンションが上がりますね。

文庫蔵や塩蔵などでは、明治・大正時代の道具が展示されていました。お弁当箱や農機具、漬物樽などが並んでいます。

流鏑馬会館も併設

塩の道ちょうじやのある旧平林家住宅の蔵には、流鏑馬(やぶさめ)会館も併設されています。大町では6歳になると町ごとに1人ずつ騎手が選ばれ、化粧をして流鏑馬を行う神事があるのだそう。

会館内には実際に使用された装束や、お祭りの様子を映したビデオなどがありました。

大町の子供流鏑馬とは?

若一王子神社の流鏑馬は、今では佳麗で優美な全国一を誇る子ども流鏑馬です。

平安時代から戦国時代にかけてこの地を治めていた仁科氏によって、五穀豊穣の祈りとして続けられたものです。流鏑馬の由来は、承久3年(1221)後鳥羽上皇が北条義時追討の命令を出したとき、院の西面の警護を仰せつかり、上皇に忠誠を誓った仁科盛遠が、出陣に際し神前に流鏑馬を奉納し、武運を祈ったことに始まったと伝えられています。また、京の都との関わりの深かった仁科氏は、京都賀茂神社の流鏑馬に造詣が深く、これを支配地であり故郷でもある大町に伝えたともいわれています。

天正10年仁科氏が滅びて後は、仁科神明宮の三神主のうちから一騎、仁科氏の分かれで宮奉行であった渋田見家から一騎、大町十人衆を代表して曽根原家より一騎、つごう三騎が出たもので、その後、宮本部落から一騎、渋田見家から一騎、大町十人衆のうちから交代で一騎を出すことに改め、維新に及んでいます。

この流鏑馬は、明治維新までは仁科神明宮と若一王子神社とで共通して行っていたもので、旧暦6月16日には仁科神明宮で、翌17日には若一王子神社のそれぞれの例祭において、同じ射手が行い、約2里の道のりを遠乗りしたわけです。それが維新後、神明宮にあっては祭事その他を百数十戸の氏子だけで奉仕することになったため、経済的な事情からこの流鏑馬を続けることができず、廃絶のやむなきに至ったのです。その結果、若一王子神社だけで、この流鏑馬を続けてきたのです。大町にあっては維新後、上仲町の伊藤重右衛門氏が、射手を一般氏子から選出することを提唱し、私費を投じて何騎もの流鏑馬の馬具や衣装等を購入し、各町内に寄贈され、現在のように若一王子神社例祭奉祝祭に、十町より十騎の流鏑馬が出場する大町流鏑馬の基を築かれました。

若一王子神社の公式HPより引用

カフェでひと息

流鏑馬会館の見学が終わったら、先ほど通り過ぎたカフェへ。女清水で淹れた珈琲とロール大福(塩キャラメル味)をいただきました。塩の道にちなんで塩味のスイーツが提供されているとのこと。

甘すぎず、モチっとした食感で珈琲にもよく合います。

塩の道ちょうじや・流鏑馬会館

所在地:大町市大町八日町2572
入館料:大人500円、小中学生250円、未就学園児無料
開館時間:5~10月9:00~17:00(最終入館〜16:30)、11~4月9:00~16:30(最終入館〜16:00)
定休日:5~10月第3・4水曜日、11~4月毎週水曜日・年末年始
駐車場:あり(施設横に大型バス4台、普通車7台ほどの駐車スペース/すぐ近くに無料市営駐車場もあり)

塩の道ちょうじやと信濃大町駅散策まとめ

地名「大町」とは街の中心を意味します。1,000年近く前から栄え続ける、歴史ある大町をぶらっと歩いてみました。塩の道ちょうじやは、大町宿としての歴史を伝える貴重な施設です。

周辺には、黒部ダムや高瀬渓谷、姫川源流など自然いっぱいの観光スポットがあります。見頃のシーズンはそれぞれありますが、訪れる際の参考にどうぞ!

 


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この記事を書いた人

信州さーもん

兵庫県出身長野県在住の信州さーもん。Skima信州編集長。
地名と社寺に興味をそそられると、長野県内のどこでもふらっと行く習性を持っています。御朱印・神社仏閣紹介サイト「ごしゅメモ」を運営。