【小諸の由来】穴城は地名が語る?「小諸」の「モロ」とは

富士見城跡|小諸市

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「小諸(こもろ)」は全国的に見ても珍しい地名です。

わたしが最初に興味を持ったのは、小諸城の特殊な地形を見た時でした。西側を南北に流れる千曲川の断崖を天然の要塞にし、北には中沢川、南には邪堀(じゃぼり)川と三方を川に囲まれた中世からのお城です。珍しいのは、城下町がお城よりも30メートル以上高い位置に広がっていること。日本で唯一の「穴城」だともいわれているそうです。

「コモロ」とは「コムロ(小室)」が訛ったもので、この周辺に比べて低い地形に由来しているのではないかというのが最初の仮説でした。小諸は縄文時代の遺跡も残るたいへん歴史の深い土地です。

これだけ変わった地形にあって、それを由来にしない方がおかしいでしょ!などと考えました。

今回の地名考察では2つの疑問が生じます。まずは「誰がいつ、なんと呼び始めたのか」次に「その言葉の持つ語源や意味」です。

小諸城は「穴城」?

小諸城懐古園|小諸市

小諸城が特殊な地形にあるからといって、そのまま「コモロ」の由来に結びつけるのは早計です。小諸城のある場所が地名の発祥地なのかを考える必要があります。

「小諸」の発祥は「諸」?説

富士見城跡|小諸市
富士見城跡
富士見城跡|小諸市
富士見城跡

小諸城の北方にある飯綱山の山頂には富士見城がありますが、当時は大室城とも呼ばれていました。山の麓には大室神社もあります。現在は小諸市諸(もろ)という地名になっており、この辺りが大室と呼ばれていたことがうかがえました。

大室と小室があることから大きさを表すのかと勘違いしそうですが、大室は「御室」が訛ったものだそう。小室ができたのは、御室が大室に訛った後の話なのでしょうか。

小諸市出身の郷土史研究家 小林孝吉氏の『悲運の若武者清水冠者義高と大室氏』によると、京都に“小室の御所”ができたために「大室」を「室」と改め、後に「諸」となったそうです。

小諸のとなりには大室があり、小諸は小室であったことまでは分かってきました。

大村→大室説

そもそも「大室」は「大村」が訛ったものだとする説もあります。平安時代の漢和辞書『和名抄』には「大村郷」とあり、現在の小諸市諸地区に比定されています。

このことから『日本歴史地名体系』には大村と小村があり、それが訛って大室と小室になり、さらに「小諸」と変化したものだと推測されていました。

小諸の由来 まとめ

富士見城跡|小諸市
富士見城跡

小諸の前身となった「大室」や「小室」の由来をまとめると以下のようになります。

大室・小室の由来の説まとめ

①奈良時代末期にできた「大村郷」に由来

→『悲運の若武者清水冠者義高と大室氏』より

②平安時代に牧場だった場所を「大室」「小室の郷」

→日本大百科全書より

「諸」という言葉自体には「たくさん」とか「両方」といった意味があります。

諸説ある小諸の由来ははっきりとしませんでしたが、読みやすい響きや縁起の良い漢字に変化していったのかもしれませんね。

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この記事を書いた人

信州さーもん

スキマな観光ライター。長野県内外、国外を旅します。長野県観光WEBメディア「Skima信州(http://skima-shinshu.com )」代表。道祖神宿場街道滝ダムため池棚田神社仏閣好きな平成生まれの魚。浅い知識を浅いままに増やしています。企画・アイディアを出すのが得意。たぶん。