私は小学生のとき恐竜をはじめとする考古学が大好きで、将来は考古学者になりたかった。地球の誕生からピラミッドの謎まで図書館の本を広く読み漁っていたのだけれど、その中で衝撃を受けたのが「埋葬」という概念だ。
生き物の中で死んだものを「埋葬」するのは人間だけらしい。なぜ死んだ人を埋めてみようと思ったのだろう。なぜほかの生き物は死んだ仲間を埋めようとは思わないのだろう。
もしかして「埋葬」の歴史は、人間が人間として一歩前進した瞬間と合致しているんじゃないか?
アウストラロピテクスや北京原人の時代には、まだ「埋葬」された形跡がない。それが10万年前頃のネアンデルタール人になると、同じ場所から何人分もの骨が見つかっている。これがただ単に「まとめて捨てただけ」なのか「死者を弔う気持ちがあったのか(埋葬していたのか)」はまだ分かっていないが、人類はこの段階で確実に進化している。
死者、埋めてみようかな〜みたいな発想は、突如、誰かが突然思いつくものなのだろうか。
4足歩行飽きたし、立ってみるか〜みたいな発想も同じなのだろうか。
とにかく小学生ながらに、人間が「埋葬」を始めたことに衝撃を受け、それ以来「お墓」に対する信仰心や「死生観」に興味を抱くようになった。
約5,000〜2,000年前頃の古代エジプト人たちは「死者の魂が肉体に戻って復活を果たす」と考えていたらしい。魂が肉体を失わないようにミイラの技術を発達させ、大きな目印がわりにピラミッドをつくった。
「埋葬」の概念はする側だけでなく、される側にも影響が及ぶようになったことが分かる。
ピラミッドの近くにあるカイロ博物館で特別料金を払うと、ツタンカーメンのミイラが見られる。16〜19歳で殺され、若くして亡くなった悲劇の王として有名だが、実は古代エジプト人の平均寿命は25歳前後らしい。いちばん裕福に暮らせていた王族でさえ35歳前後。人生80年の私たちとは死生観も違うはずだ。
何ひとつ不自由がなかったブッダが「死」や「老い」を恐れて仏教の考え方を広めたように、エジプトの王様たちも抗えない「死」に対する恐怖はひとしおだったのだろう。ぜいたくな悩みといってしまえばそれまでだけれど、当人たちにとっては深刻な課題だった。
古代のエジプトでは「死後の世界には楽園がある」と考えられ、魂が清らかであれば再び肉体に戻ってくるといわれていた。「極楽浄土」や「輪廻転生」にも通じるところがあるので日本人もすんなり受け入れやすいのではないだろうか。
少しずつ今回の本題に近づいていくのだが、「古墳」と「ピラミッド」は形や考え方がよく似ていると思う。小学生のときに手塚治虫『火の鳥 ヤマト編』を読んで「生きているうちに自分のお墓をつくるんだなあ」と感心していたが、ピラミッドもおそらくは元気なうちから計画を練っていたことだろう。
古墳をつくった目的として「死後も自分の権力を示すため」と書いてあったのを見たが、自分が王様なら死後に権力を示すためだけにこれほど立派なものをつくらないのではないかと考える。
やっぱりどこかで復活を信じていたか、黄泉の世界で幸せに暮らすために必要なマインドだったか、とにかく「古墳」は王様の一大終活事業だったに違いない。
古代エジプト人たちの中には王族でなくともミイラになったりお墓を豪勢にしたりと、どうにか楽園への切符を手にしたい人たちもいたようだ。日本各地にある小さな古墳たちもその類なのかもしれない。とはいえ古墳時代に死んでいった人々の数を推定すると、今残っている古墳に入っていたのは相当の権力者であることは間違いないだろう。
最も古墳の多い兵庫県の18,851基には遠く及ばないけれど、長野県も古墳の数ランキングでは全国16位にランクインしており、2,861基の古墳や横穴がある。
積石塚で有名な長野市の「大室古墳群」や松本市の「針塚古墳」、大きさでいえば千曲市の「森将軍塚古墳」や松本市の「弘法山古墳」も見逃せない。
目立つ古墳はなくとも、伊那谷や飯田市、安曇野市、上田市〜佐久市のあたりにも古墳が点在している。もはや盛り上がった土にしか見えないところもあるが、1,500年ほど前、確かに誰かがここに埋葬されたのだ。
そんな長野県で古墳を学ぶときにおすすめしたいスポットのひとつが「森将軍塚古墳館」。
長野県最大級の「森将軍塚古墳」の麓にあり、復元した古墳を中心に出土品や発掘調査のことをさくっと学べる。おとなりには長野県立歴史館もあるので、広く歴史をおさらいすることも可能。
ところでこの古墳館には復元された古墳を下から覗き込むように見られる仕掛けがついている。埋葬した側ではなく、された側の視点に立てるのは斬新で面白い。よく見ると天井には青空が描かれており、「これが埋葬される人が最後に見る景色なのか」などと考えることができる。
人間はなぜ「埋葬するのか」と書いたが、いつの間にかなぜ「埋葬されるのか」という話になっていた。人の死を悼み、自分の死を恐れること。当たり前のようで、実は人間だけに起きた奇跡のような概念なのかもしれない。
近年になって再び自分のお墓を自分で計画しておく「終活」がブームになっているが、その前に古墳をめぐって、当時の終活事業を学んでおくのも良いかもしれない。
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