ある雨の日、中野市の中山晋平記念館を訪れた。
中山晋平(なかやましんぺい)は長野県中野市に生まれ、『シャボン玉』や『てるてる坊主』、『兎のダンス』など誰もが知る童謡や校歌の作曲を手がけた日本有数の作曲家である。
入館してすぐスタッフの方に「音楽関係の方ですか?」と尋ねられる。否定しつつ「タダの歴史好きです」と答えると、「お若い方はあまり来られない場所なので」とのこと。博物館や資料館で2回に1回はいわれるセリフなので気にはしない。
この時は内緒にしていたが、実は最近のブームが「松井須磨子(まついすまこ)」だったことが来館理由のひとつだった。
松井須磨子は長野県長野市松代町に生まれ、日本で初めて“歌う女優”として一躍有名になり、その後恋愛関係にあった劇作家・島村抱月の後を追って自殺したことでも話題となった人物だ。
ちょうど「川上貞奴」さんとか「阿部定」さんといった激動の人生を歩んだ女性の話を漁っていた最中で、長野県出身の松井須磨子さんに惹かれるのに時間はかからなかった。
彼女の人生はワイドショーの見出しになるような話題ばかり。
・2度の結婚と離婚
・初の整形女優
・島村抱月との不倫
・日本初の歌う女優として大ヒット
・抱月の後を追って33歳で自殺
良くも悪くも女優人生として、人々の注目を浴びずにはいられない方だったのだろう。わたしが惹かれたのは、そんな彼女の裏に見え隠れする「努力」や「根性」の姿。長谷川時雨も著書『松井須磨子』の中で彼女を「努力の人」だと評している。
目立った美人でも、歌が上手いわけでもなかった須磨子が大舞台で主役を張るような女優になるため、寝る間も惜しんで稽古に励んでいたのは有名な話だ。
ひと通り関連書籍を読み回った後、YouTubeで映画『女優須磨子の恋』を観た。タダなので興味のある方は観てほしい。
そんな彼女が人気女優の階段を駆け上がるのは、トルストイ原作の『復活』という舞台で演じたカチューシャがきっかけだった。
劇中歌である『カチューシャの唄』が大ヒットし、作曲を手がけたのが中山晋平その人だ。彼もまた『カチューシャの唄』の大ヒットにより有名作詞家の道を歩むことになる。
1番の歌詞は島村抱月、2番以降の歌詞は相馬御風(そうまぎょふう)。「カチューシャかわいや わかれのつらさ」は当時の流行語にもなったほど。
わたしも気づくと頭の中で「か〜ちゅ〜しゃかあわあいい〜や」と歌い始めてしまう。何とも中毒性のある唄である。
中山晋平曰く「松井須磨子はお世辞にも歌が上手いとは言えず、レコーディングも大変だった」そうだが、今でもその音源が残っている。
美空ひばりバージョンも好き。
ところで中山晋平記念館にはステージがあり、その上には晋平が当時使用していたと言うレトロなピアノが2台設置されている。
「リクエストがあれば、何かお弾きしますよ」。
ひと通りの説明をしてくださったスタッフの方がピアノの前に座る。
まさかそんなサービスがあるなんて!
「じゃあ、カチューシャの唄をお願いします」
「カチューシャの唄をご存知なんですか!珍しいですね」
ぜひ歌いながらお聴きくださいと、カチューシャの唄の伴奏が始まる。
- カチューシャかわいや わかれのつらさせめて淡雪 とけぬ間と神に願いを(ララ)かけましょうか
- カチューシャかわいや わかれのつらさ今宵ひと夜に 降る雪のあすは野山の(ララ)路かくせ
- カチューシャかわいや わかれのつらさせめて又逢う それまでは同じ姿で(ララ)いてたもれ
- カチューシャかわいや わかれのつらさつらいわかれの 涙のひまに風は野を吹く(ララ)日はくれる
- カチューシャかわいや わかれのつらさひろい野原を とぼとぼと独り出て行く(ララ)あすの旅
生で聴いてみると、一段と涙の出てくる名曲だ。
『カチューシャの唄』を聴きに、また中山晋平記念館へ訪れたい。
ちなみに中山晋平のストーリーもたいへん面白かったので、また改めて記事にしようと思う。