南北に天竜川が縦断する下伊那郡天龍村の山奥に、向方(むかがた)という地区があります。
「向こう方(むこうがた)」が訛った言葉のようで、いかにも別の場所から付けられた地名です。
誰がどこから付けたお名前なのか、向方地区の皆さんにお話を聞いて、自分なりに考察してみました。
天龍村の向方地区とは?
向方地区は標高700〜800メートルほどにあり、麓には早木戸川(ルビ:はやきどがわ)と大河内川(ルビ:おおこうちがわ)が流れます。向方のある山中に川はないものの、代わりに湧水が豊富だそうです。
地区の中心には天照皇大神社(てんしょうこうだいじんじゃ)があり、地元では天照大神社(てんしょうだいじんしゃ)とも呼ばれています。毎年1月3日には国重要無形民俗文化財に指定される「向方のお潔め祭り」が行われる神社です。
天龍村坂部(さかべ・さかんべ)の「坂部の冬祭り」や遠山郷(飯田市)の「霜月祭り」などと同じく、霜月神楽のひとつです。
熊谷家伝記(くまがいかでんき)によると・・
向方地区のとなりにある坂部という地区を拓いた熊谷(ルビ:くまがい)家が代々残してきた『熊谷家伝記(くまがいかでんき・くまがいけでんき)』によると、向方の郷が拓かれたのは南北朝時代の終わり、14世紀頃だとされます。
地元の方曰くこの地には「村松」さんがたいへん多く、ルーツは伊勢(三重県)にあるのだといいます。南北朝時代の終わりに天皇に仕えていた一族が伊勢から天龍村へ落ち延び、すでに土着していた熊谷氏の許しを得て向方の郷に住むようになったそうです。どうやら向方と呼び出したのは村松氏だということが見えてきました。
村松氏は600年ほど前に伊勢から新野(阿南町)(ルビ:にいの)を通り、同じく天龍村の見遠(見当)(ルビ:みとお)という地へたどり着きました。ここに拠点を定めようとした時、ふと見ると反対側の山にひらけた土地があることに気が付きます。やはり向こう側の土地に住まおうと決めたのが、向方の郷だったのです。
村松氏が向方地区に拠点を置いた後、その息子たちは平らな土地の広がる新野へ移ったのだそうです。『熊谷家伝記』によると、新しい田んぼを拓いたことから初めは「新田」と名づけようとしたものの、かつて仕えていた御家人の新田義貞(ルビ:にったよしさだ)の字をもらうのは畏れ多いからと「新野」に決まったということ。
天龍村の「ていざなす」の由来も向方に!
ちなみに向方の村松さんたちの話し方を聞いていると、例えば「引き下がる」を「ひさある」、「一昨年」を「おといし」といった感じで、独特な訛りがあるように感じました。「向こう方」を「むかがた」と呼んでもなんら不思議はありません。
また向方地区の特産品に「ていざなす」という赤ん坊ほどの大きな茄子があります。由来は「田井沢(たいざわ)さんのつくっていた茄子」で、「たいざわなす」が訛ったお名前なのだそう。こうして本来の意味を残しつつ不思議なお名前が広がっていくのは面白いなと思いました。
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