幕末の信州・松代(現長野市)出身の佐久間象山(さくましょうざん/ぞうざん)。
教科書では「しょうざん」と表記されていますが、長野県民の中には「ぞうざん」と習った方も多いのではないでしょうか?

長野県歌にも「ぞうざん 佐久間先生」と歌われているよね!
▼松代(長野市)で佐久間象山ゆかりの地めぐりをした記事はこちら!
佐久間象山とは?

さまざまなことを成し遂げた人物である為「〇〇をした人!」と一言で説明しづらい節があります。
佐久間象山は、江戸後期の1811(文化8)年に松代藩士・佐久間一学国善(ルビ:さくまいちがくくによし)の長男として生まれます。
23歳で上京し、朱子学や蘭学を修めました。砲術や兵学を教えた「五月塾」では、勝海舟や吉田松陰、坂本龍馬などを輩出しています。開国派だった象山は1864(元治元)年に上洛した際、尊皇攘夷派によって暗殺されました。享年54歳でした。
象山は幼名を啓之助(けいのすけ)といい、大人になって啓(ひらき)と名乗っています。象山(ぞうざん)は26歳の時につけた雅号(がごう)です。

雅号は芸術家や作家などが本名とは別につけるペンネームのようなものだよ。
象山の由来は松代にあるお寺の山号

ところで松代には現在「象山(ぞうざん)」と呼ばれる山があります。
佐久間象山の生家からもほど近いため、わたしはてっきり山の名前をとって付けたお名前なのだと思っていました。しかしこの山は当時、古城があったために「城山(じょうやま)」とか、竹林が生い茂っていたために「竹山(たけやま)」などと呼ばれていたそうです。
佐久間象山の由来になったのは、山の麓に江戸中期の1677(延宝5)年に開山した「象山(ぞうざん) 恵明寺(えみょうじ)」というお寺。お寺のお名前は、開山した中国出身の木庵(もくあん)禅師ゆかりのお寺にちなんでいます。つまり象山という山は中国にあり、松代の山とは何の関係もなかったのです。しかしいつの間にか恵明寺裏の山が「象山(ぞうざん)」と呼ばれるようになりました。
これは佐久間象山のとある勘違いが原因だったようです。
佐久間象山の勘違いで山の名前が変わった?!
佐久間象山は恵明寺にあった古い扁額に「象山」とあるのを見て、恵明寺の裏にある山が古くは「象山」と呼ばれていたと考えました。けれど地元の人には忘れられてしまっているために自分がペンネームとして借用したと、ある手紙に記しています。
けれど先述したように、恵明寺裏の山は「城山」もしくは「竹山」と呼ばれており、象山(ぞうざん)と呼ばれた歴史はありません。
山号とはそもそも、寺院の建てられた山の名前を冠するものだったため、この勘違いは仕方ない部分もあるでしょう。さらに恵明寺裏の山は尾根が長く、象の鼻のように見えることから名付けられたと根拠も示しています。こうして佐久間象山の勘違いにより、元々はなかった山名が土地の人々にも定着していくこととなったのです。

ひとりの勘違いで山の名前が変わっちゃうなんて、なんかすごい!
ぞうざんか、しょうざんか
佐久間象山の読み方が本当のところ「しょうざん」と「ぞうざん」どちらなのか、実はまだ決着がついていません。象山が生きている頃からすでに、どちらも混在していたようなのです。
「ぞうざん」派は、象山が恵明寺の山号である「象山(ぞうざん)」から雅号をとったのだから、自身の読み方も「ぞうざん」であるという主張。対して「しょうざん」派もいくつかの根拠を示しています。門弟が、先生は自身のことを「しょうざん」と言っていたと証言していたり、松代にある本誓寺(ルビ:ほんせいじ)には、佐久間象山が自身の読み方を「しょうざん」であると記したペン書も残っていたりします。象山自身がわざわざ読み方を記したところからも、当時から誤った呼び方をされていたことがうかがえますね。
それぞれの主張は平行線をたどっているものの、個人的には「しょうざん」に一票入れたい気持ち。とはいえ長野県民が親しみを持って「ぞうざん先生」と呼ぶ文化も大切にしたいですね。
象山神社でちえもちを食べよう!

佐久間象山の生家隣にある、彼を御祭神とした象山(ぞうざん)神社。
境内では「ちえもち」が売られていて、学問にご利益があるといわれています。あんこを米粉のお餅で包み、砂糖をまぶしたシンプルな和菓子。
食べれば象山先生の知恵にあやかれるかも!
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