わたしはどこにいるでしょうか?
とクイズができそうなこの場所、実は別所温泉のとある蚕室(さんしつ)の地下にある貯桑庫。蚕のエサになる桑を保存しておく倉庫でした。
上田は古くから蚕糸業が盛んなことから、”蚕都”上田と呼ばれています。普段の観光では気づかない、”蚕都”上田のスキマ旅へ!知識0のまま行ってきました。
藤本蚕業歴史館で上塩尻集落と蚕糸の歴史を学ぼう
上田市上塩尻の藤本蚕業歴史館。江戸時代から昭和中期(30年代頃)までの蚕種製造に関する資料や道具、文書などを保管・展示しています。予約をすればどなたでも案内してくださるそう。
江戸時代から蚕種業の中心を担ってきた藤本(佐藤本家)は、明治時代に蚕種製造業として初めての会社、藤本蚕業合名会社を設立しました。蚕糸業が衰退した昭和40年頃からは、プラスチックなどの製造を行う会社として生まれ変わっています。
蚕種は日本全国に広く販売していました
蚕糸業には蚕種業、養蚕業、製糸業があります。中でもここ上塩尻集落(旧上塩尻村)では、蚕種業が盛んでした。千曲川の氾濫に負けない強い蚕種と桑の木を育てた結果、1870年、上田藩領内から外国に輸出した蚕卵紙は62.7万枚もありました。この数は何と全国の輸出量の45%に当たります。蚕種業は上田の繁栄を支えました。案内してくださった佐藤さんのお宅は、藤本(佐藤本家)の分家になるそうです。
上田の蚕が強くてよく売れた理由
洪水にも負けない強い桑の木を育てていた
洪水によってもたらされた肥沃な土が桑の栽培に適していた
岩鼻を通過する強い川風が桑の木につく害虫を振り落としてくれた
裏山は日当たりも良く、桑の葉が早く芽吹いた
上塩尻村の藤本善右衛門が病気に強い「青白種」を開発し、広めていた
ちょうどその頃ヨーロッパで蚕の病気が流行し、病気に強い蚕が求められていた
上塩尻の凄さは圧倒的な”資料”の多さ。記録する文化の残る集落
蚕糸業の歴史を語る上で上塩尻村が欠かせない理由は、圧倒的な資料の多さにもあります。歴史館に保存されている資料は、まだまだこんなものではありません。整理し、分析するために必要な時間も膨大。蚕糸業について、毎日細かく記録していたおかげなのだそうです。
日本で最初とも言われる、蚕業雑誌。
蚕糸情報雑誌もありました。蚕糸メディア、ニッチすぎる!
蚕糸の今を全国に伝える役割も担っていたんですね。
藤本蚕業歴史館
見学:要予約(0268-24-2460)
上塩尻集落で見られる”猫瓦”が面白い!
佐藤尾之七旧邸の屋根に見える”猫瓦”。
蚕を食べてしまうネズミを避けるために上塩尻集落ではよく見られるそうです。猫とネズミ、といえば同じく北国街道沿いにある鼠宿に民話が残っています。何か関係があったら面白いな〜と思いましたが、詳しいことは分からず。
手織り一筋の上田紬 小岩井紬工房を見学
藤本の蚕室からさらに5分ほど、雨の滴る北国街道を歩きます。
裏道、横道、趣深い。
そんな趣残る北国街道沿いにある、上田紬の小岩井紬工房。日本三大紬に数えられ、江戸時代から400年以上の歴史をもつ「上田紬」の織元です。
手織り一筋にこだわった上田紬。工房は自由に見学が可能ですが、10名以上でお越しの方は事前にお問合せくださいとのことでした。
長野らしい「林檎染」は、品種によって微妙に色合いが異なります。紅玉、シナノゴールド、など。やはり紅玉は色も濃く見えますね。
美しい。
”鮮やか”とは少し異なる、上品な色合いを織りなしています。着物はもちろん、がま口財布やストール、名刺入れなどちょっとした小物も購入可能。オンラインショップもございます。公式HPをご覧ください!
小岩井紬工房
所在地:上田市上塩尻40
公式ページ:http://www13.ueda.ne.jp/~koiwai-tsumugi/
別所温泉には倉沢家の蚕室
今回の旅で最後にやってきたのは、上塩尻を離れた別所温泉。倉澤運平の蚕室です。倉澤運平とは、幕末に生まれ日本の蚕種製造業に大きく貢献した蚕種製造家。
※蚕室は個人宅のため、内部の見学は通常行なっていません。
今回案内していただいた倉澤運平氏の孫に当たる倉澤和成氏曰く、2016年に別所温泉で行われた「全国風穴サミット」の際に張り切って作った説明看板。別所温泉の裏山・夫神岳(おがみだけ)中腹にある「氷沢風穴」は、運平氏が明治期後半に築いたものだそうです。風穴は自然の冷蔵庫として蚕種製造業には欠かせないものでした。
今回のツアーでも風穴を見学する予定でしたが、あいにくの雨により中止。残念です。真夏に30度あったとしても、風穴内は10度台に保たれるのだとか。
そんな倉澤運平の蚕室、中を自由に見学します。個人のお宅なので普段は中にはいれません。外観を見学するようになります。
窓から見える別所の景色。なんども訪れたことのある場所なのに、少し上から見るだけで特別に感じます。
床の下には地下で炊いた薪ストーブの熱を1階と2階にあげ、全ての部屋を暖められる工夫がなされていました。木板の角度で温度を調節できるようになっています。蚕室は冬も一定の温度を保つ必要があるため、暖房・冷房の工夫が画期的。
倉澤運平氏に関する展示室。
この建物は戦後に一度アパートとして改装されています。2階は6畳ワンルームの部屋ごとに区切られた跡がありました。
中にはこのように当時の設備や備品を残した場所も。個人的にはこのような”端っこ”の様子にときめきを感じました。好きな方は他にもいらっしゃるはず。
薪ストーブのある地下室。倉澤氏は子どもの頃、ここで友人と勉強をしたり遊んだりした思い出があるそう。確かに秘密基地にしたくなるような、暗くて狭くてワクワクする場所です。
地下にも貯桑庫があります
最後に案内していただいたのは、地下の貯桑庫。薪ストーブのあった地下室とは隣り合っていますが、大きな壁で区切られているようです。
中はひんやり、ちょっと牢獄のようです。高さは2.5mほどでしょうか。天井には丸太が組まれており、周囲は石垣に囲まれています。
上田の蚕種業を学ぶ旅、ディープです。
いつもの観光とはちょっと異なる、蚕業の歴史を学ぶ旅でした。個人的には、歴史的に価値の高い古民家を見学できたことも嬉しかったり。事前に予約をすればどなたでも見学できます。興味のある方はぜひ尋ねてみてくださいね。
Skima信州で取り上げている上田のスキマ記事もご覧ください!
写真協力:山吹誘地(@YaMa_OIDE )