坂城町の珍地名「ねずみ」の由来とは?真田家との関係と民話を検証した

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ネタはあるけど検証が進まない、地名の謎シリーズ第4段。

今回は坂城町に伝わる民話と珍地名「ねずみ」についてご紹介します。なんとなく気になっていたものの、ねずみがいたという民話があることしか調べずに放置していました。

そんな時、偶然にも長野市篠ノ井の「軻良根古神社」を発見。面白い名前なので調べてみると、坂城町の「ねずみ」とつながっていることが分かりました。神社は「からねこ神社」と読み、ねずみを退治した「唐猫さま」をお祀りしているのだそうです。神社とつながっていると知って、途端に興味が湧く私。

ねずみとネコにまつわる坂城町の伝説とは?

なぜ「ねずみ」の地域から少し距離のある篠ノ井に「軻良根古神社」があるの?

長野県の名勝「岩鼻」との意外な関係とは?今回はそんな「ねずみ」の謎に迫ります。長野県の地名については地名の謎シリーズでまとめています。こちらもご参照ください!

坂城町には「鼠」という地名が残る。

「ねずみ」の信号となり「鼠橋通り」

18号線を通る時にいつも気になっていた「ねずみ」という地名。信号機に「ねずみ」と書いてある様子を不思議に思った方もいらっしゃるはず。

「鼠」はこのへん。

鼠宿は松代藩の真田氏が設けた私宿

R18沿いの鼠宿跡

上田宿と坂木宿の間宿(あいのじゅく)、鼠宿

宿場ではなく、松代藩が設けた私宿だそう。

真田氏が上田から松代に移った後、この地を「鼠宿村」と名付けました。岩鼻は松代領と上田領の境界にあたり、鼠宿の口留番所の取り締まりは関所なみだったのだとか。問屋、馬宿、茶屋などでにぎわったと書かれています。

「鼠」の由来は厳しすぎる番所からきている?

看板にはありませんが、この関所なみに厳しい口留番所が「寝ずに見張っていた」ことから「不寝見(ねずみ)」といわれたのだとか。不寝見宿とは、この宿の厳しすぎる番所を皮肉った言葉だったのかもしれません。

長野県埴科郡坂城町。江戸時代から信濃国埴科(はにしな)郡にみられた村名。千曲川右岸、善光寺平の最南端に位置する。千曲川は両岸から突き出す岩鼻の狭隘部を抜けて坂城広谷へと流れ出るが、その狭隘部は、大昔、猫に追われた大鼠が岩鼻を食い切ったためできたものと伝承され、地名の鼠もそこからきているとの口承がある。また、「ねずみ」は「不寝見」によるとする説もあり、上田の信濃国国府への狼煙台があったところとも考えられている。

角川日本地名大辞典より

鼠宿跡の上田側に鎮座する會地早雄(おうぢ/おうち/おおち はやお)神社

バックに巨岩を構えます。鼠神社を合祀したこともあるみたい。「ねずみ」とゆかりの深い神社。

鼠宿村、新地村の産上神たり合殿、大穴持命は鼠大神と称し、千曲川の傍に鎮座の処寛保2年洪水の節社地流水につき当社へ合併。
寛政6年正月吉田家へ願い社合の許可を受。万葉歌碑がある。
天平勝宝7(755)年2月16日。
防人の作「知波夜布留賀美乃美佐賀尓怒佐麻都里伊波負伊能知波意毛知々我多米」

長野県神社庁より引用

「不寝見」から転じた?「神ねずみと唐猫様」の伝説とは

さて、ねずみといえば、先ほどの地名大辞典に興味深い記述がありました。

その狭隘部は、大昔、猫に追われた大鼠が岩鼻を食い切ったためできたものと伝承され、地名の鼠もそこからきているとの口承がある。

角川日本地名大辞典より


この辺りは昔一面の湖だったと。その西にねずみが住み田畑をあらしたため、遠い国から大きな唐猫さまを 派遣してきました。

唐猫に追われて逃げ場を失ったねずみは岩山を食い破り、湖の水は千曲川となって流れ出しました。あたりには水がなくなり、陸地になったといわれているそうです。元々はねずみもいいやつだったや、唐猫さまのその後などいろいろあります。

上田市と坂城町の間にある「半過(はんが)の岩鼻」

千曲市「荒砥城跡」から見た坂城町周辺の景色

千曲市の荒砥城跡から見ると、連なった山が一部だけ狭まっていることがわかります。

反対側から見ると、こんな感じ。

この奇妙な姿は半過の岩鼻と呼ばれ、奇岩・名勝として知られています。ここは先ほどの「鼠宿跡」のほぼ川向い。岩山を食いちぎったことで湖は決壊し、ねずみも唐猫も流されてしまいました。

ねずみはついに見つからずじまいでしたが、唐猫さまは現在の長野市篠ノ井塩崎で見つかります。とにかく唐猫はねずみ退治の大役を果たし、神として祀られることとなったのです。篠ノ井塩崎といえば今でも地盤が弱く、水害の多かった地域。この地に唐猫さまを祀る意味も見えてきます。

ちなみに千曲公園と半過の岩鼻についてはこんな記事も書いているので訪れる際の参考にどうぞ!

長野市篠ノ井に「軻良根古(からねこ)神社」を見つけた

そんなねずみの由来を知る前のお話。Googleマップでウロウロしていたら、偶然見つけた「軻良根古(からねこ)神社」。気になったので実際に行ってみました。先に基本情報から。

追記唐猫は古く「唐禰子」と書き、古来から貴人の尊称として「禰」が使用されていることなどから、当地にいた帰化人を祀ったと言われているそうです。また神社の横には北国街道(善光寺街道)が通り、この先には矢代の渡しがありました。

基本情報

ご祭神大己貴神(おおなむちのかみ)、建御名方神(たけみなかたのかみ)、
社格など 
所在地長野市篠ノ井塩埼6380
電話番号 
駐車場あり
拝観料なし
公式ページ 

御由緒

永禄年間武田家、村内篠野井組、産土神の神前に大平を祈願し一泊すると伝えり。最古社なる、大木数本有り、軻良根古大明神と称す。明治11年6月21日宮の許可を得て軻良根古神社と改称する。

長野県神社庁より引用

マップ

この雰囲気、好きな類の神社・・!

せっかくなのでもう少し神社の様子をご紹介。

からねこ神社にねこ、発見。

そしてにゃんと!

軻良根古神社にねこさまが!

か、かわいい。

さーもん
誘っているのかな?

そんなおまけエピソード。

とりあえずまとめ「ねずみ」の由来は2パターン!

以上の検証と考察をまとめると、ねずみの由来は大きく2パターンに分けられます。

1、ねずみは坂城町にあった間宿が「不寝見」番をしたことから付けられた!
2、民話「神ねずみと唐猫様」からその名をとった

1の場合、民話は「ねずみ」の珍名から想像して作られたと考えられます。

「唐猫さま」や「千曲川の氾濫」など、歴史と結びつけることによって史実が紐解けそうな予感。そもそも寝ずに見たから「寝ず見」なんて少しこじつけのような気も・・。

2の場合、なぜ坂城町の一部に「ねずみ」と名付けたのか、その理由がまったく分かりません。鼠神社を合祀したのは地名ができてからのはずだし・・。謎が深まります。

仮説、検証ときたので考察に入りたいところですが、参考文献など足りないのでとりあえず今回はここまで!参考にできそうな文献や知識などありましたらぜひご連絡ください。

最後までお読みくださり、ありがとうございました!

地名の謎シリーズ

信州の地名は、古いもので縄文時代まで由来がさかのぼるといいます。

どの地名をとっても「なぜ?」と投げかけるだけで歴史や文化、地形などを読み解けるまさに宝箱!地名の謎シリーズでは、信州に隠された地名の由来を考察し、できれば実際に赴いて検証していきます。

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この記事を書いた人

信州さーもん

スキマな観光ライター。長野県内外、国外を旅します。長野県観光WEBメディア「Skima信州(http://skima-shinshu.com )」代表。道祖神宿場街道滝ダムため池棚田神社仏閣好きな平成生まれの魚。浅い知識を浅いままに増やしています。企画・アイディアを出すのが得意。たぶん。