長野県に多い苗字「百瀬(ももせ)」さんの由来と意味をさぐる

百瀬とは?

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百瀬」は長野県独特といってよい苗字です。

長野県外の方には馴染みがなく難読苗字でもありますが、たいていの場合「ももせ」、たまに「ももぜ」「ひゃくぜ」と読む場合もあります。

全国の百瀬さんのうち8割が長野県にいることから、長野県発祥の名字であることがうかがえますね。歌手の美川憲一さんの本名も百瀬由一さん、長野県諏訪市のご出身です。

そこで今回は長野県にルーツのある「百瀬」さんの由来と意味をご紹介します。

ルーツは松本市!明治初頭までは「百瀬村」があった

松本市立考古博物館
弥生時代の土器(針塚遺跡 百瀬式土器)

百瀬さんのルーツはその分布から見ても明らかなように、現在の松本市にあります。松本市寿豊丘には明治初頭まで「百瀬村」があり、その名主が「百瀬家」でした。それ以前の記録で見ると、1488年には「百瀬」の地名が見られるそうです。

明治になって「百瀬村」にいた人々が「百瀬」という苗字を名乗り、県内外に広がったのではないかと考えられます。

牛伏川扇状地に位置するこの土地。弥生時代の遺跡や土器も発見されており、百瀬遺跡、百瀬式土器と名付けられています。

百瀬(ももせ)の意味と由来は?諸説あり

百瀬という独特のお名前には、どんな意味があるのでしょうか?

単純に考えると「百」はたくさん、「瀬」は水を意味し、牛伏川扇状地であることからも水や水田に関する名前のように見えます。

また「モモ」という音から推測すると、傾斜地や崖線(崖の連なり)を意味する古語「ママ」から転じたものであるという見方もできます。ですが近くに急な崖は見当たりませんね。

となると、水が豊富な扇状地らしい地形に由来するお名前であると考えた方が自然かもしれません。

また、牛伏川(うしぶせがわ)が当時、度々大氾濫を起こしていたことに由来する説もあります。水害の後に広がるたくさん(百)の瀬を意味しているとのこと。

長野県にある百瀬は松本だけではない

百瀬が百瀬村だけの独特な地名かといわれるとそうでもありません。

長野県だけにしぼっても、長野市小鍋の百瀬や筑北村旧坂北村の百瀬集落などが発見できました。

松本の百瀬からついたのか、もしくはその土地の地形に由来しているのかは定かではありません。

まとめ|長野県に多い「百瀬(ももせ)」さんの由来と意味をさぐる

百瀬とは?

今回は松本市を中心とした長野県独特の苗字である「百瀬」さんの由来や意味についてご紹介しました。

拙書『信州おなまえ旅』にはそんな長野県の地名や苗字の由来がたくさん掲載されているので、気になった方はチェックしてみてください。

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この記事を書いた人

信州さーもん

スキマな観光ライター。長野県内外、国外を旅します。長野県観光WEBメディア「Skima信州(http://skima-shinshu.com )」代表。道祖神宿場街道滝ダムため池棚田神社仏閣好きな平成生まれの魚。浅い知識を浅いままに増やしています。企画・アイディアを出すのが得意。たぶん。